ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
2004/9/2
Harry Potter and the Prisoner of Azkaban
2004年,アメリカ,142分
- 監督
- アルフォンソ・キュアロン
- 原作
- J・K・ローリング
- 脚本
- スティーヴ・クローヴス
- 撮影
- マイケル・セレシン
- 音楽
- ジョン・ウィリアムズ
- 出演
- ダニエル・ラドクリフ
- エマ・ワタソン
- ルパート・グリント
- ゲイリー・オールドマン
- ロビー・コルトレーン
- マイケル・ガンボン
- アラン・リックマン
- フィオナ・ショウ
- マギー・スミス
- デヴィッド・シューリス
- エマ・トンプソン
- トム・フェルトン
休み中にオバさんを膨らませ、退学かと思ったハリーだったが、魔法省はアズカバンから脱獄したヴォルデモートの手下シリウス・ブラックの問題にかかりきりで、しかもそれがハリーの両親の死と関係があるらしいのだ。ハリーは自分がブラックに狙われていることを知らされ、学校に行く途中には吸魂鬼にも襲われ、恐怖心を抱きながら新学期に臨む。
世界中で大ベストセラーを続ける「ハリー・ポッター」シリーズの第3作の映画化。出演キャストたちは順調に大人になっていき、魔法もグレードアップ。しかし、監督が変わって上映時間は2時間半未満に圧縮、うまくまとまった感はあるが、勢いはなくなったか。
原作は読んでいないけれど、これはちょっとまとまりすぎなんじゃないかと思う。この作品のプロットは2時間の映画以上のプロットではない。これまでの2作は4時間から5時間分のプロットを何とか2時間半から3時間に押し込んだという感じだったけれど、今回は脚本の段階で2時間にまとめられるないようだったという感じだ。これは監督の力量の違いというよりは監督の方針の違いだろう。クリス・コロンバスはたぶん原作に惚れ込んでいて、原作の世界観をいかに短い時間で表現するかということに腐心していたのだと思うが、今回のアルフォンソ・キュアロンは原作は原作として、映画は映画としてひとつの作品としてまとめ上げようと考えたのだと思う。
その狙いは確かに成功しているように見える。一本の筋の通った物語を展開にメリハリをつけながらうまく語ったという感じだ。時間が短くなった分、上映の回転もよくなって観客動員も計算できるし。
しかし、これはあくまでもシリーズものの映画なのである。3作目ということは、それを見る人は前2作の世界観が継続的に描かれると期待して劇場に足を運ぶのだ。そういう体制で映画を観始めると、この映画の勢いのなさに拍子抜けする。これまでのごちゃごちゃした感じ、詰め込みに詰め込んだカオス的空間の欠如がどうもしっくりこないのだ。なんだかホグワーツの風景や雰囲気もすっかり変わっているような気もするし、校長先生も違う人になってるし、なんだかもう登場人物が同じというだけのすっかり違う映画である。
そして、そのごちゃごちゃ感をとった代わりに多用されているのがCGである。動物から植物までほとんどすべてにCGが使われ、かなりアニメに近づいていると言ってもいいほどだ。それはそれで想像上の動物などを表現するにはいいのかもしれない。しかし、どうも舞台設定の時代の雰囲気と比べると現代的過ぎてしっくりこないような気もするのだ。
さらにいえば、余分なエピソードや凝った小物、ユニークなバイ・プレイヤーが登場してこないのも寂しい。前2作でかなり大きなウェイトを占めていたクウィデイッチも主プロットの伏線のためにほんの数分描かれるだけ、気の効いた小物といえば「モンスター・ブック」ぐらい。マルフォイもなんだかけちな威張り屋の弱虫に成り下がってしまったし、新しい呪文もあまり覚えないし、あー、小さい小さい!
別にこれまでの2本が傑作だったというわけではないけれど、そもそもファンタジーなんだから、こんな子供映画とゴシック・ホラーの中間みたいな映画じゃなくて、おもちゃ箱のような楽しさが詰まった映画であるほうがよかった。そういう余分なものがあってこそ、主プロットのほうも盛り上がっていくんじゃないかと思うのだ。
これが「魔法学校の子供たち」の映画から「若い魔法使いたち」の映画に変わっていく過渡期の作品だというなら我慢もするが、このままこんな感じでだらだらとシリーズが続いていくのなら、もうやめたほうがいいと思う。