シャレード
2004/9/14
Charade
1963年,アメリカ,113分
- 監督
- スタンリー・ドーネン
- 原作
- ピーター・ストーン
- マルク・ベーム
- 脚本
- ピーター・ストーン
- 撮影
- チャールズ・ラング・Jr
- 音楽
- ヘンリー・マンシーニ
- 出演
- オードリー・ヘップバーン
- ケイリー・グラント
- ウォルター・マッソー
- ジェームズ・コバーン
- ジョージ・ケネディ
- ネッド・グラス
スキー場で友人に夫と離婚すると言ってパリに帰ってきたレジーナは、空っぽの自宅を見て呆然とする。警察に呼ばれて行くと、そこには夫の遺体とわずかな遺留品が。そして葬儀の日、なぜかアメリカ大使館に呼ばれ、夫が戦時中に25万ドルを横領していて、その金を当時の仲間が探しているということを知らされる…
オードリー主演のしゃれたサスペンス。監督がスタンリー・ドーネンだけに、ヒッチコックばりというわけには行かず、時々オチャラケもはいるが、サスペンスとしても十分面白く、そのオチャラケがスパイスとして効果的に作用する。
オープニングからしていかにも60年代らしく、タイトル・クレジットがヒッチコックの『めまい』などに似ている。その前の思わせぶりなシーンともあわせてスタンリー・ドーネンはヒッチコックばりの(風の?)サスペンスを作ろうとしていることがわかるが、もちろんヒッチコックのようには行かないことは予想がつく。
しかし、オードリーが出てくると様子は一変してしまう。ゲレンデのテラスに座るオードリーの姿は、その映画のすべてを飲み込んでしまう。オードリーがオードリーらしいそのサングラスをはずした瞬間に、この映画はオードリーの映画になってしまうのだ。オードリーの表情やしぐさ、そしてジバンシーのファッションが映画のすべてを支配し、観客をコントロールしてしまう。これこそオードリーの魔力なのだろう。そして、その魔力がもっとも発揮されたのが60年代の前半なのではないかと思う。
なので、この映画はオードリーを観ていれば、それで事足りるわけだが、実はそれ以外の部分も非常に魅力的で面白い。
まず、サスペンスとしてのストーリーがかなりしっかりしている。夫が殺される原因となった25万ドルをめぐる駆け引きと謎解き、それはサスペンスの醍醐味である「犯人探し」の面白さを十分に楽しませてくれる。もちろん最後の最後まで犯人側からないというわけには行かないが、それでも少なくとも半分を過ぎるくらいまでは疑心暗鬼でいられるだろう。その成功の秘訣は「誰もが怪しい」ということにあるだろう。
「あいつが犯人だろうなぁー」という予想はつくが、「もしかしたら、もしかしたら」と疑心暗鬼になるくらいには仕掛けを仕込んである。そうなれば観客は映画のプロットを追っていかざるを得ず、飽きることなく映画を観ることが出来るわけだ。
そして、ケイリー・グラント、ウォルター・マッソー、ジェームズ・コバーンという名優たちを使っているところもかなり効いている。安っぽいサスペンスだと、俳優の格で誰が犯人で誰がヒーローということがわかってしまうことが多々あるが、これくらいいい役者をそろえれば誰が犯人で、誰がヒーローでもそれなりに納得が言ってしまう。なんだったら、オードリーが犯人でもいいかもしれないと思ってしまうくらいだ。
そしてもうひとつ、これは軽妙な映画が得意なスタンリー・ドーネンらしさという感じもするが、真面目にストーリーを展開していきながら、ときどき脱線する。プロットには関係のないような笑いを誘う小ネタをはさんで、映画にちょっとしたスパイスを与えるのだ。自分にはヒッチコックほどのサスペンスの才能がないことを自覚してか、観客の注意をいろいろなところにそらしていくことで場を持たせている分けだ。
そんなこんなで、ひとつの世界が出来上がり、観客は安心してそこに浸ることが出来る。そしてその世界とはつまりオードリーの世界である。小ネタだってオードリーが言うから許せるというものもかなりあって、結局オードリーにおんぶで抱っこという印象はぬぐえないのだ。
しかしそれはそれ。この映画はそういう映画だからそれでいいのだとも思うし、そのような映画を見事に作りきるドーネンの才能もたいしたものだと思う。