天空の城ラピュタ
2004/9/24
1986年,日本,124分
- 監督
- 宮崎駿
- 原作
- 宮崎駿
- 脚本
- 宮崎駿
- 撮影
- 高橋宏固
- 高橋プロダクション
- 音楽
- 久石譲
- 作画
- 丹内司
- 出演
- 田中真弓
- 横沢啓子
- 初井言榮
- 寺田農
- 常田富士男
- 永井一郎
海賊に襲われた大きな飛行船、そこから逃げ出したひとりの少女、その少女は地面へとまっさかさまに落ちるが、首にかけていた石が光を発し、ゆっくりと降り始めた。鉱山で働く少年パズーはその少女シータを受け止め、気を失っている彼女を家へと連れて行く。そして、その石をめぐる海賊に軍隊を巻き込んだ騒動に巻き込まれていく…
宮崎駿が『風の谷のナウシカ』に続いて撮った、「ガリバー旅行記」にも登場する空に浮かぶ伝説の島“ラピュタ”を舞台とした冒険アニメ。
この作品は宮崎駿のオリジナル長編アニメとしては『風の谷のナウシカ』に続いて作られた作品であり、舞台となる世界の世界観というものは共通している。それはSFでありながら前時代的な技術を用いるということ、つまり現代から見れば時代遅れであるような技術レベルの時代を描くことである。
しかし違いもある。それは『ナウシカ』が人類が壊滅的な打撃を受けたあと再構築された世界を描いたものであるのに対し、この『ラピュタ』はそもそも別の次元の世界であるということだ。『ナウシカ』も別の次元といえばそうなのだが、われわれが生きている現実の遠い未来の話しであるとしても納得は行く。しかしこの『ラピュタ』は明らかにわれわれの世界とは別の発展の仕方をしてきた世界を舞台にしているのだ。
そして、そのことはこの映画にとって非常に重要なことである。この映画の世界というのはわれわれの世界の過去のどこかの一点で分岐して出来たような世界である。そこでは空を飛行船が支配し、ジェット機などは飛んでいない。そして蒸気機関車が今も走り、構築物は基本的に木製だ。人々は素朴で温かく、風景は牧歌的である。
それは今のわれわれにとっては失われた世界である。失われてしまったがしかし懐かしい世界、そのような世界がもたらすのはノスタルジーだ。
しかもこの映画ではそのノスタルジーをストレートにわれわれが経験したはずの過去に向けるのではなく、ありえた未来へ向けている。それはつまり、われわれがつまずいてしまった過去の一転からやり直していたとしたらありえたかもしれない、到来しなかった現在へのノスタルジーである。それはもはや決して手に入れることが出来ないだけに、なおさらノスタルジーをあおるのだ。余談だが『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』もそのようなノスタルジーを見事に描いた作品である。『ラピュタ』をみて「なんかいい…」とおもったら『オトナ帝国』も見てみるといいかもしれない。
さて、
この映画はそのようなノスタルジー構造によってすべてを埋め尽くしている。滅びてしまった古代文明、「ガリバー旅行記」、少年と少女の淡い恋、そのどれもがこれを見る大人のノスタルジーに結びつくのだ。
今思えば、これは宮崎駿とスタジオジブリの巧妙な戦略だったのではないかとも思ってしまう。『風の谷のナウシカ』は確かに非常に面白い映画史上に残る傑作ではあったが、それが公開されて時点ではあくまでもアニメ映画であり、子供とアニメファンの大人が熱狂的に迎えただけの作品だった。つまり、それはあくまでも“子供向け”だったということである。
それに対してこの『ラピュタ』は明らかに大人をターゲットにしている。もちろん子供でも楽しめるのだが、大人のほうがより楽しめるように作られているのだ。その最大の武器はノスタルジーなわけだが、もうひとつ海賊の親分ドーラ(ママ、あるいはオバさん)の存在も重要である。『ナウシカ』はあくまでもナウシカというひとりのヒロインの物語であり、そこにあるのは戦争というスペクタクルであった。それに対してこの『ラピュタ』はパズーを主人公としていながら、それを見つめる“オトナ”としてのドーラの視点を巧妙に混ぜ込んでいく。これによって大人はある意味主人公たちの保護者として物語にすんなりと入っていくことが出来るのだ。
つまり、この作品を大人が見ると、ドーラという視点によって映画の世界に導入され、そこに用意されたさまざまな道具によってノスタルジーをくすぐられ、どんどんと映画の世界に引きずり込まれていくということになる。
これによってジブリは大人の観客も獲得し、続く『となりのトトロ』によって揺らぐことのない評価を得たのである。
というように、この作品がいかにオトナに対して仕掛けて行ったかを書いてみたが、もちろんそれでしっかりと大人の観客を引き込んだということはこの作品が質も伴っているということである。
『ナウシカ』でもそうだったが、ベースとなる世界観がしっかりとしていて、その上に物語を構築していっているというところがいいのだろう。そしてもちろんキャラクターや小道具もすばらしく、映像の面でも一つのスタイルを確立し、揺らぐことがない。つまり、この段階で宮崎駿とスタジオジブリはつまらないはずない作品のスタイルを完成させてしまっているのであり、もうどんな作品を作ってもつまらない作品には成りえなくなってしまったという言なのである。
この『ラピュタ』が宮崎アニメの中でも最高だというファンが意外に多いのは、これ以降のすべての作品は、同じスタイルで撮られた“似たもの”に過ぎず、それはいわばカスタムメイドされてはいるが基本的には同じ車種の車のようなものである。したがって、それを評価する基準は個人の好みしかない。しかし『ラピュタ』の中にはエンジンを改良しようという意気込みがあった。そして確かに『ナウシカ』より洗練されたと言える部分もあるのだ。
それがファンの心をつかんでやまないのだろう。それでも私は『ナウシカ』のほうが完成度が高いと思うけど。