モンスター
2004/11/2
Monster
2003年,アメリカ=ドイツ,109分
- 監督
- パティ・ジェンキンス
- 脚本
- パティ・ジェンキンス
- 撮影
- スティーヴン・バーンスタイン
- 音楽
- BT
- 出演
- シャーリーズ・セロン
- クリスティナ・リッチ
- ブルース・ダーン
- アニー・コーレイ
- スコット・ウィルソン
アイリーンは自殺をする覚悟をする日に出会ったセルビーとの出会いを語る。なけなしの金を使おうと知らずに入った同性愛者が集まるバーでアイリーンはセルビーに声をかけられる。最初は軽快していたアイリーンだったが、ともに疎外感を感じていた二人はすぐに打ち解ける。そしてアイリーンは徐々にセルビーを生きがいと感じるようになるが…
1986年に実際に起きた事件を元に描いたクライム・サスペンス。シャーリーズ・セロンが13キロもの増量を敢行し、見事アカデミー主演女優賞に輝いた。ともかくも女優二人の演技が見もの。
何はなくとも、シャーリーズ・セロンの増量に話題がいってしまうのはハリウッドの悪癖を象徴しているようだが、その増量を云々しなくてもこの映画のシャーリーズ・セロンはすばらしい。これまでは演技派という印象はなく、地味めながらも美貌は飛びぬけた女優という感じだった。それだけにこの映画を見ても、言われなければシャーリーズ・セロンだと気づかないくらいわけだが、別に気づかなくてもいいのかもしれない。この“増量”は客を映画に運んでくる映画にはなるが、映画そのものにとっては何の意味もない。シャーリーズ・セロンが映画の中で変貌するならともかく、ずっと増量したままなのだから、“増量”というトピックは映画の外にある話題でしかないからだ。
シャーリーズ・セロンは女優に徹し、映画の中のキャラクター、実在したアイリーン・ウォーノスのキャラクターを見事に体現する。そして共演するクリスティナ・リッチも見事にレズビアンに変貌しているのだ。
そして、見始めてしまえばこの映画は文句なしに面白い。幼い頃から男の視線にさらされ、その中で自己のアイデンティティを形成してきてしまったアイリーンと、レズビアンという“ビョーキ”によって白い眼で見られてきたセルビー、アイリーンは愛することを必要とし、セルビーは愛されることを必要とし、この2人が出会うことによって必然的に生まれる物語。それは絶望的に美しい。
重要になるのは、ふたりの心理の変化だ。ふたりとも一見すると非常に理不尽であるように見える。アイリーンはそれを「世界が違う」と表現するが、われわれの一般常識(と信じられているもの)からすれば、彼女たちの行動は常軌を逸している。それは殺人を犯したアイリーンだけではなく、セルビーについてもそうなのだ。特に映画の中ではセルビーのことが多く語られないだけに彼女の行動や言動の理不尽さが際立ってしまうのだ。
しかし、それによって浮かび上がるのは、映画としての不完全さではなく、物語としての純粋さだ。この映画でキャラクターといえるのはほとんど彼女たちふたりだけだが(かろうじて脇役としてキャラクターといえるのはブルース・ダーン演じるトーマスとアニー・コーレイ演じるドナだけ)、それはこの映画が完全にふたりの“愛”の物語であるからだ。
愛と常識が対立するということは映画や物語の世界ではよくあることで、常識が変化するのに対して愛は変化しないということで多くの物語が紡がれてきたわけだが、それはあくまでも常識との関係性において愛を語るものであった。しかしこの映画は絶対的に“愛”についてしか語らないのだ。絶対的に愛を追求して常識を無視したらどうなるのか。それを徹底的に追求してみればこの映画になる。そこには必然的に宗教が現れ、人間が現れてくる。
果たして彼女たちは愛を貫けるのか、それとも常識は否応なくわれわれの愛までも縛ってしまうものなのか… その“答え”をこの映画はわれわれに用意している。