煙突の見える場所
2004/11/6
1953年,日本,108分
- 監督
- 五所平之助
- 原作
- 椎名麟三
- 脚本
- 小国英雄
- 撮影
- 三浦光雄
- 音楽
- 芥川也寸志
- 出演
- 田中絹代
- 上原謙
- 高峰秀子
- 芥川比呂志
- 関千恵子
- 田中春男
- 花井蘭子
- 浦辺粂子
- 坂本武
- 三好栄子
東京の下町、“お化け煙突”と呼ばれる煙突が見える界隈の安い貸家に住む緒方隆吉と弘子の夫婦は2階を仙子と健三というふたりの独り者に貸している。夫婦は仲睦まじく暮らしていたが、弘子が夫に内緒で競輪場で働いていたことに隆吉は腹を立て、さらに翌日、家に赤ん坊が置き去りにされていた…
田中絹代と高峰秀子の女優の演技が光るヒューマン・ドラマ。通り一遍のハンカチものにはせず、「人間」というものを考えさせる構成にしたところで非常に面白みのある映画になった。
“お化け煙突”は昭和39年まで、千住にあった火力発電所の煙突、見る方向によって4本、3本、2本、そして1本と見え方を変える。この映画で全国でも名を知られるようになったが、火力発電所の廃止とともに取り壊された。
このお化け煙突の見える町が舞台で、それが題名にもなっているわけだが、もちろんそれがテーマというわけではなく、テーマは戦争と夫婦ということになる。田中絹代演じる弘子は戦争未亡人で2年前に隆吉と再婚したという設定で、彼女には戦争の影がまだ色濃く残るらしく、些細な物音でびっくりしたりする。
そして、実は生きていた前の夫の赤ん坊が転がり込んでくることで2階のふたりも巻き込んだ物語が展開されていくことになる。
他人の赤ん坊を育てているうちに情が移ってかわいくなってしまうというだけならよくある話だが、この映画は単純にそのような話なのではない。赤ん坊を媒介として展開されていく弘子と隆吉の関係、そして2階の仙子と健三の関係が面白い。赤ん坊をどうするかというひとつの問題をめぐって映画が展開されていくのではなく、それぞれの登場人物はそれぞれの問題を抱えながら、その関連で赤ん坊にも対処していかざるを得ないのだ。
その過程で仙子が戦死した兄の子供を育てたことがあるというエピソードや、弘子が戦争中から送ってきたつらい生活といった過去が現れてくる。過去は戦争に関わるものであり、女性たちが抱えるものである。その過去の経験によって彼女たちは強くなり、現実に対処する方法を身につけている。しかし同時に弱さも持ち合わせており、男に頼りたいとも思っている。それに対して、隆吉はどうにも優柔不断でしかし短気という性格、健三は未来に希望と意欲を持っているが意気地がなく、男性ふたりの方はなんとも頼りないわけだが、実はいざというときに頼りになるのは彼らなのかも知れないのだ。
この映画はそのようにして人間の抱える矛盾した様々な側面をそのまま描いてしまう。だから焦点がぼやけるような気もするが、非常にリアルなのだ。プロットを面白くするためにキャラクターをそぎ落としていくのではなく、それぞれの人間を描こうとする姿勢がこの映画にはあるのだ。
だから、この映画は主な登場人物である4人の人間を見る映画だということになる。そして彼らは「人間」を見事に演じている。特にふたりの女優は本当に見事だ。田中絹代は主にその仕草で、高峰秀子は主にその表情で、その人物を作り上げていく。それはまさに言葉にならない表現である。ひとつの表情に込められた矛盾した感情、その矛盾は健三のことの問いかけに答える「好きだけど、嫌い」という言葉に表れるわけだが、それがすべてなのではなく、その言葉に至るまでの複雑な感情が表情に表れるのだ。
ちなみに、高峰秀子は田中絹代の背中を見て演技に開眼した(何の映画だかは忘れましたが)そうで、『花籠の歌』で共演してからは友人でもあったらしい。そんなふたりだから互いにこのようにすばらしい演技を引き出したのかもしれないと思うのだ。
それはともかく、この映画はそのようにして人間の様々な側面を描いている。そして、そのメタファーとして“お化け煙突”が作品の中心に置かれているのではないかと思う。人間もお化け煙突と同じように見方によって様々な見える。一面的に人間を見ることに意味がない、と。しかしそのように様々な側面を持つということは同時に怖く不気味なモノでもあるはずだ。そのあたりをそのまま、複雑なまま映画にしたところがすばらしいと思う。
健三が仕掛けるネズミ捕りや、映画の終盤で片足だけに下駄やハイヒールを履いて歩くというシーン(松葉杖をついた人も登場する)も何かのメタファーだという気がするが、それが何であるかを明確に言葉にすることは難しい。
とにかく、この映画は「まさに映画とは(特に日本映画とは)こういうものなんだ」といいたくなるような映画だ。小津も人間の矛盾や複雑さを描くことが多いが、それをより複雑に雑多に、庶民的にしたのがこの映画ではないか。