メラニーは行く!
2004/11/23
Sweet Home Alabama
2002年,アメリカ,109分
- 監督
- アンディ・テナント
- 原作
- ダグラス・J・エボック
- 脚本
- C・ジェイ・コックス
- 撮影
- アンドリュー・ダン
- 音楽
- ジョージ・フェントン
- 出演
- リース・ウィザースプーン
- ジョシュ・ルーカス
- パトリック・デンプシー
- キャンディス・バーゲン
- メアリー・ケイ・プレイス
- ダコタ・ファニング
メラニーはデザイナーとして活躍し、私生活ではニューヨーク市長の息子アンドリューにプロポーズされ、順風満帆。しかし、アンドリューに婚約はしばらく秘密にしておこうと提案し、7年帰っていない実家に一人で報告に行くと言い出した。しかし、アンドリューの母ケイトに指輪を見つかってしまいそのまま、新聞に載ってしまう。メラニーは急いで故郷のアラバマへと帰るのだが…
ポスト・メグ・ライアンの呼び声高いリース・ウィザースプーンおはこのラブ・コメディ、わかりやすい筋に、お決まりの南部の独自性をスパイスに加えた安心感のある作品。
まあ、ラブ・コメです。とにかくラブ・コメです。
リース・ウィザースプーンはブロンドに丸顔に、美人というよりはコケティッシュなかわいさがあって、本当にメグ・ライアンがラブ・コメの女王と呼ばれる以前の雰囲気によく似ている。この作品と『キューティー・ブロンド』で着実にラブ・コメの女王の座に近づいてはいるが、これを決定的にするにはメグ・ライアンにとってのトム・ハンクスのような外れのない相手役を見つけることが必要かもしれない。この作品で共演しているジョシュ・ルーカスやパトリック・デンプシーではかなり力不足。
なので、この作品は完全にリース・ウィザースプーン頼みという感じになってしまう。映画が彼女に追っていることはもちろんだが、ストーリーのほうもすべての出来事は彼女を中心に回り、彼女の感情ですべてが決まってしまうという印象がある。婚約者、親、友達などなどたくさん出て来はするのだが、彼らの存在が映画と、そして彼女の意思決定にどれほど影響を与えているか考えてみると、毛ほどの重みもないのではないかと思えてくるのだ。
いくらラブ・コメとはいっても、いくつか山があって、陰謀というほど大げさではなくとも障害があって、それを乗り越えていくのがプロットというものだと思うが、この映画にはそれはない。ただただメラニーが迷って決めていくだけ。そのあたりがどうもメリハリがなく、映画に勢いがない原因だろう。
そのような映画になってしまった原因は、この映画に登場する人が一人残らず例外なく善人であるということだ。悪意を持って行動する人はもちろん、ひねくれた人や意地の悪い人すらいない。誰も彼もが誠実で、素直で、他人のことを思いやり、理解があって、根に持たない。リース・ウィザースプーンは『カラー・オブ・ハート』で50年代のホームドラマの世界に入り込んでしまったけれど、この映画の世界もまさにそんな(幻想上の)古き良きアメリカを舞台にしているのだ。あえてこの物語の舞台を南部に設定し、南北戦争を再現するという観光客向けのイベントを物語りに織り込んだのも、そのような古き良きアメリカというものを観客に意識させるためだろう。
そのため、この映画には黒人はほとんど登場せず、登場しても警備員やメイド、ニューヨークのゲイのメイキャップ・アーティストなどだけである。別に、それを人種差別だと言って怒るつもりはないが、そのような「古き良きアメリカ」という幻想がアメリカ(の白)人の心の中にはどっかりと根を下ろしているのだろうと思うと、どうも居心地の悪い気持ちになる。
しかも、この映画を製作しているのが(『華氏911』の公開を拒否した)ディズニー傘下のブエナ・ビスタとくると、この映画は観客を洗脳する装置なのではないかと勘繰りたくもなってくる。ラブ・コメという毒にも薬にもならなそうなモノにこそ、そのような餌をまくというおまえらのやり口はお見通しだ~!!と狂信的な陰謀論者のように叫ばないまでも、どこかきな臭いものを感じてしまう。
ちょっと考えすぎかもしれないけれど、それが絶対に嘘だとも断言は出来ないのでは?