ハウルの動く城
2004/12/2
2004年,日本,119分
- 監督
- 宮崎駿
- 原作
- ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
- 脚本
- 宮崎駿
- 音楽
- 久石譲
- 作画監督
- 山下明彦
- 稲村武志
- 高坂希太郎
- 出演
- 倍賞千恵子
- 木村拓哉
- 美輪明宏
- 我修院達也
- 神木隆之介
- 大泉洋
- 原田大二郎
父の残した帽子屋を切り盛りする少女ソフィーはある夜、裏道で美貌の青年に救われる。しかしその青年は魔女の手下に追われており、少女を連れて空へと逃げる。青年のやさしさに触れたソフィーは彼に心を奪われるが、その夜、悪名高き荒地の魔女がやってきて、彼女に呪いをかけ、ソフィーは老婆の姿に変えられてしまう…
ダイアナ・ウィン・ジョーンズを原作にして、魔法が力を持つ世界でのアドベンチャーを描いた作品。宮崎駿には珍しい原作モノで、声優に木村拓哉と話題性はいつものように充分。映画の迫力もさすがのもの。
宮崎アニメはもう面白いのが当たり前になってしまっている。問題になるのは「面白いかどうか」ではなく、「どれくらい面白いか」である。「この作品はいまいちだ」という意見は基本的に「他の作品と比べると劣る」という意味で、「作品自体が面白くない」ということではない。映画を観てまず思ったのはそんなことだ。
『ハウルの動く城』という題名の映画で、冒頭にその動く城が登場する。「城」というよりはガラクタの寄せ集めという感じだが、とにかく擬人化された建造物が動いているので、それが「動く城」であることは間違いない。そして、その動く城は決して伝説的なものではなく、当たり前のものとして人々に捉えられていることがすぐにわかり、むしろ謎めいているのはその住人であるハウルのほうだということになる。
そのあたりの物語のもって行き方がまず見事だ。そして主人公のソフィーがそのハウルの世界に巻き込まれてしまうという展開も見事。いつものように導入で観客をぐっと世界に引き込むのがうまい。
そこからはキャラクターと勢いで最後まで行ってしまう。物語に深みがないといえばないが、この作品は深みのある物語で何か哲学を語ろうという作品ではないのではないかと思う。
この作品はナウシカやラピュタを思わせるようなありえなかった現在、あるいは未来の物語である。そして、重要なのはそこでも人々は戦争を繰り返しているということだ。だから、この映画はある種の反戦的な思想をほのめかしているように見えるし、ナチス風の行進が描かれたりすることでそれが強調されているように見える。
しかし、映画全体を捉えてみると、それが物語の中心ではない。この映画の中心にあるのはソフィーとハウルのロマンスであり、それ以外は添え物でしかない。人間と魔法使いという異なるものが出会い、恋に落ち、万難を排して思いを遂げる(かどうか)。という典型的なラブストーリーなのである。戦争とか悪魔とかいった要素はふたりの恋を盛り上げるための舞台装置でしかない。
そしてもうひとつ、「笑い」もこの映画の中心となっている。宮崎アニメはどこかで哲学的なものと捉えられているが、じつは「笑い」が常に重要な位置を締めてきた。この作品はその「笑い」をかなり映画の前面に押し出している。脇役として登場する、カルシファー、荒地の魔女、かかしのカブらは物語にも寄与するが、基本的に道化である。とくにカルシファーはいわゆるトリックスターとして、笑いによって映画を展開させていく役回りを負っている。つまり、この映画は「城」と同じようにカルシファーが動かしていると言ってもいいのではないか。
つまり、この映画はラブコメなのだ。魔法という超自然的な力が介入して、主人公が引き裂かれたり近づいたりするというのはラブコメのひとつの典型的なプロットだし、そこにトリックスターが介在するというのも典型的な物語構造だ。たとえば『ゴースト』などがその類型に入る(ウーピー・ゴールドバーグがトリックスターにあたる)。
そんなラブコメだと考えてみると、この映画はすごくすっきりする。『ラピュタ』のワクワク感や『もののけ姫』のような重厚感を期待してみると、拍子抜けだが、そもそもそのような作品として作られていないとわかれば、心の底から楽しめる作品になる。
倍賞千恵子と木村拓哉という声優もいろいろ言われているが、私はこのキャスティングは間違っていなかったと思う。まず二人ともラブコメに適した声だし、このキャスティングは観客に余計な期待を抱かせない。つまりふたりは俳優としてのキャラクターからして重厚であるより軽妙なのだ。だから、観客は自然と映画にも軽妙な感覚を求める。
声優として上手かというと確かに疑問は残るが、映画のコンセプトにはあっている。さらにいうなら、カルシファー、荒地の魔女、かかしのカブに我修院達也、美輪明宏、大泉洋をあて、さらに犬のヒンに原田大二郎をあてるというキャスティングもコメディとしては絶品のキャスティングだ(個人的には原田大二郎が犬というのは最高だと思う)。
もちろん、ラブコメだと断言してしまうことでこぼれ落ちてしまうものもたくさんある。宮崎アニメには常にそのような複雑さというか重層性があって、それは観客への挑戦でもあるのではないかと思うのだ。観客は変わらないものを求めるけれど、宮崎アニメは変わり続ける。観客はその変化についていけるかどうか試されている。「昔の作品のほうが面白かった」とぼやくのは自分の無力さ(楽しむという能力のなさ)を露呈しているだけなのだ。
せっかく映画を観るのなら、あらを探すより積極的に楽しんだほうがいいに決まってるのだから。