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シベールの日曜日

2004/12/3
Cybele ou les Dimanches de Ville d'Avray
1962年,フランス,116分

監督
セルジュ・ブールギニョン
原作
ベルナール・エシャスリオー
脚本
セルジュール・ブーギニョン
アントワーヌ・チュダル
撮影
アンリ・ドカエ
音楽
モーリス・ジャール
出演
ハーディ・クリューガー
パトリシア・ゴッジ
ニコール・クルーセル
ダニエル・イヴェルネル
アンドレ・オウマンスキー
preview
 戦争中の経験によって記憶を失った青年ピエールは父親に連れられて寄宿学校に向かう少女に出会う。少女のことが気になったピエールは彼らの後をつけ、学校に少女を預けて出てきた父親が置いていった鞄を拾う。そして鞄の中から出てきた紙片を見て、父親がもう戻ってこないことを知るのだ…
 記憶喪失の青年と親に捨てられて少女の出会いを描いたセルジュ・ブールギニョンの初監督作品。ロリコンから熱烈な支持を受けている事でも有名。
review
 これは「空白」をめぐる物語である。映画の冒頭に戦争のシーンがあり、ピエールと少女“フランソワーズ”との出会いがあり、それからその少女の父親が帰ってこないことがわかる。ピエールが記憶喪失であることが分かるのはそのあとだが、ここまでに決定的な2つの「空白」が提示される。ひとつはもちろんピエールの記憶の空白であり、もうひとつは少女の父親の空白である。
 そして話は進み、少女は父親のみならず母親からも祖母からも見捨てられた事実上の誇示であることが明らかになる。彼女は決定的に孤独であるのだ。その上、寄宿学校のシスターによって“フランソワーズ”という名前までつけられて、名前までもが空白にされてしまうのだ。
 そのふたりが出会う。ふたりはともに自分自身の空白を埋めようと躍起になる。ピエールは過去を求め、少女は家族を、家を、そして名前を求める。

 この物語はまずロリコンの物語に見えるかもしれない。少女を愛してしまった記憶喪失の男の物語。しかし、ピエールは少女を求めているのではなく、少女を通して過去という空白を埋めることを求めているのだ。それをロリコンということは自由だが、ピエールは少女が少女だから(子供だから)彼女を求めたのではなく、彼の空白を埋める何かをそこに求めたのである。
 そして次に浮かんでくるのは“白痴”の物語であるということだ。記憶を失って無垢な存在となった象徴的な意味での(ドストエフスキー的な)白痴の物語、ピエールは無垢な存在となったから同じように純粋で無垢な少女を求めるという物語がそこからは組み立てられる。しかし彼らは決して無垢ではない。無垢というのは真っ白な、いわば“ゼロ”の状態を言うわけだが、彼らが抱えるのは空白、つまり本来あるべきものを欠いてしまった“マイナス”の状態である。彼らはまっさらなキャンバスに何かを描こうとしているわけではなく、あいてしまった穴ぼこに何でもいいから物を詰めてとりあえず埋めようとしているのだ。
 ピエールの感じるめまいもそのことを象徴しているように思える。そこの見えない水面や果ての見えない高い木を眺めることで彼が感じるめまいは、自分の心に空いた穴を見つめることによって感じるめまいを意味している。彼が人の目を見つめようとしないのは、人の眼もまたそこの見えない奥深さを持っているからである。少女が「私の目を見て」と言って、ピエールがそれに答えるとき、彼は自分の空白を埋め、めまいを克服する第一歩を踏み出したと言っていい。

 同様にアントワーヌも空白を抱えている。それが実際何ののかはわからないが、とにかくその空白はピエールに愛されることによって埋まるらしいことはわかる。陳腐な言い方をすれば愛に飢えているとでも言えばいいのか、とにかく彼女は誰かに愛されることを求めているのだ。
 映画のプロットの上では空白を抱えていないように見えるカルロスも実は空白を抱えている。彼の空白とはおそらく子供ではないだろうか。カルロスは与える存在として大文字の<他者>として存在しているようにみえるが、ピエールがクリスマスツリーを盗んだとき、「甥たち」をがっかりさせると言って憤る。そこで彼が抱えている空白とは子供であるということが明らかになる。カルロスにとってピエールは子供という空白を埋める存在であったのだ。
 そのようにそれぞれに空白を抱える彼らがその空白を埋めようとすることで展開されていくのがこの物語だ。だからと言って別に何かを奪い合うというわけではなく、互いが互いの空白を埋められるような道を見つけられればいいという物語になるのだ。


!!!!!!ネタばれです!!!!!!

 この映画の結末は悲劇的だ。
 少女はピエールに名前を与える。他者によってすっかり空白にされてしまった自分自身の最後のよりどころである名前をピエールに与えてしまうのだ。つまり彼女はピエールにすべてを明け渡し、ピエールというそのすべてによって自分の空白のすべてを埋めようとする。ピエールはそれによって空白を埋めることに成功する。それでめまいを克服し、彼女に風見鶏を上げようと考えるのだ。それは彼と少女の関係の象徴であり、彼女がそれを手にするということはつまり彼女がピエールという“家族”を手にすることを意味するだろう。そのとき少女の空白も埋まり、物語はふたりの間ではハッピーエンドとなる。しかし、この物語がそうならない。その結果、少女シベールは空白を抱えたままになり、名前までも完全に失ってしまう。マドレーヌも、そしてカルロスも、空白を抱えたままになってしまう。
 もちろんハッピーエンドにするという選択肢もあっただろうと思う。しかし、このような悲劇的な終わり方をすることで「空白」をめぐる物語であることが強調されるのだと思う。後味が悪いといえば悪いが、印象は強烈だ。

Database参照
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