鳥
2004/12/7
The Birds
1963年,アメリカ,120分
- 監督
- アルフレッド・ヒッチコック
- 原作
- ダフネ・デュ・モーリア
- 脚本
- エヴァン・ハンター
- 撮影
- ロバート・バークス
- 音楽
- バーナード・ハーマン
- 出演
- ティッピー・ヘドレン
- ロッド・テイラー
- スザンヌ・プレシェット
- ジェシカ・タンディ
- ヴェロニカ・カートライト
バード・ショップで謎の男ミッチと出会い、いたずらを仕掛けられたメラニーは、その男のことが気になり、いたずらを返してやろうとその男のあとを追ってボデガ湾というところまで行く。そこでボートに乗っているところをかもめに襲われた彼女は、翌日ミッチの妹キャシーの誕生会で子供らが不意にかもめに襲われるのを眼にする…
現代のパニック映画の原型のひとつともいえるヒッチコックの恐怖映画の名作。無数の鳥に襲われる恐怖感を特撮で見事に表現し、ヒッチコックのサスペンスに新たな境地を開いた。
この映画は冒頭から鳥が不気味なものとして提示されており、それが一羽のかもめによる襲撃という形で明確な形をとり、パニック映画へと順調に進んでいくように見える。
ヒッチコックの映画における恐怖の源泉になるのは「不気味なもの」である。この映画では鳥が不気味なものであることは間違いないが、メラニーがボデガ湾で眼にするものや出会う人のほとんどがまず不気味な印象を与える。郵便局のおじさんも、アニーもどこか不気味な存在見えるのだ。
そのアニーの不気味さは、ミッチの母りティアに対する彼女のほのめかしによって強められる。このシーン(メラニーがボデガ湾につき、ミッチとリディアに出会って、いったんアニーの家にいった場面)でアニーはメラニーがミッチに好意を持っていることを見抜き、リディアがメラニーとミッチの関係を邪魔するであろうことを予測してメラニーに思わせぶりな台詞を言う。そこで観客はリディアとメラニーの争いが映画のひとつの核になるだろうと予測をするわけだが、この映画はそのようには進まない。確かにリディアはメラニーが滞在することを快く思ってはいないようなのだが、決してそれをあからさまにはせず、明確な対立はそこには存在しない。そしてアニーが言ったようにただの「捨てられることを恐れている」母親の話になってしまうのだ。
そして鳥の脅威が現実的なものとなるにつれてリディアは映画の表舞台から退いて行ってしまう。このように未解決のまま宙ぶらりんにされたリディアの存在というのがこの映画のひとつ不思議なポイントになる。
そしてもうひとつ、この映画の最大の不思議というのが「なぜ鳥が人を襲うのか」ということである。基本的にパニック映画というのはその球威のもとが人間を襲うということにある種の必然性があり、説得力がある。だからこそ観客はそれを怖がるのであって、物語が面白く展開できるのである。理由もなくむやみやたらと襲ってくるのだとしたら、それはパニック映画というよりはホラー映画になってしまう。
この映画では「どうして鳥が人間を襲うんだ」と繰り返し問われるにもかかわらず、その答えは結局明らかにならない。なぜ鳥が人を襲うのかはわからないままなのだ。これがこの映画の最大の不思議だが、これとリディアの謎を結びつけると、この映画の構造がある程度わかってくるような気もする。
その2つを結び付けて、なぞを解く鍵は映画の中盤で旅行者らしい親子連れがダイナーに閉じ込められることになってしまい、その母親がメラニーに向かって「あなたが来てからおかしなことが起こるようになったらしい」「お前は悪魔だ」というようなことを言うシーンにある。
確かにこの「鳥が人を襲う」という現象はメラニーがボデガ湾に着てからおきた現象である。そして鳥はまずメラニーを襲うのである。
そこからスラヴォイ・ジジェクはこの鳥がリディアの想念が現実化したもの(想念の象徴するものではなく、リディア自身が現実的に行使できなかった力を変わって行使するもの)であると考えたが、確かにそう捉えるとこの2つの謎はつながってくる。メラニーが現れてことで、ミッチに捨てられるかもしれないという不安が募り、それが鳥という形で現れた、そう考えることが出来るかもしれないということだ。
実際、鳥はミッチやキャシーやリディアを襲うことはほとんどない。リディア自身は友人が鳥に殺された場面を目撃してしまうが、それは彼女の自分自身に対する嫌悪感の表れととることも出来るのだ。
それはそれで納得できるのだが、私はこの鳥にはもうひとつの機能というか役割があるように思える。物語の結末に目を向けてみると、この鳥たちの襲撃から家族を救うのはミッチである、ミッチは鳥たちに小突かれながらガレージへ行き、鳥に対する恐怖を克服しながらガレージから車を出して、家族を車に乗せ、鳥たちに囲まれた家から逃げ出す。
この結末を見ると、鳥とは究極的にはミッチに課せられた使命なのではないかと思うのだ。母親の束縛を逃れ、自分の望む女性を得るために乗り越えなければならない使命。そしてさらに、このシーン直前に母リディアがミッチの前で「お父さんがいたら…」とこぼす場面に注目しよう。ここで暗示されていることは、リディアがミッチを夫に代わる保護者として認めていないということであり、ミッチにしてみれば父の存在を乗り越えきれていないということである。鳥から家族を守りきり、その恐怖から抜け出すことによってミッチはメラニーを手に入れると同時に父に代わって母を守る力があることを証明するのだ。
つまり、鳥はリディアがミッチに課した試練の具現化であり、同時にミッチが父の場所に変わって座るために乗り越えなければならない壁なのである。そう考えれば物語のすべてがすっと腑に落ちる。