リード・マイ・リップス
2004/12/14
Sur Mes Levres
2001年,フランス,119分
- 監督
- ジャック・オーディアール
- 脚本
- ジャック・オーディアール
- トニーノ・ブナキスタ
- 撮影
- マチュー・ヴァドピエ
- 音楽
- アレクサンドル・デプラ
- 出演
- ジェームズ・スチュワート
- キム・ノヴァク
- バーバラ・ベル・ゲデス
- トム・ヘルモア
- ヘンリー・ジョーンズ
開発会社で秘書をするカルラは難聴であることをコンプレックスとし、いつ仕事をクビになるかとびくびくし、恋人を作ることにも臆病になっていた。しかし、ボスに助手をつけていいといわれ、職安の紹介でやってきた刑務所を出たばかりの男ポールを採用する。そのポールとの出会いで、彼女に変化が生じ始める…
『天子が隣で眠る夜』で監督デビューしたジャック・オーディネールが障害者という難しい題材を見事なサスペンスに仕上げた一品。派手さはなく、話題にもならなかったが、かなり見ごたえのある作品。フランスで評価が高かったというのもうなずける。
主人公は30代の独身、最近の流行り言葉でいえば「負け犬」である。しかも、難聴というハンデを抱え、しかしそのハンデを乗り越えて責任ある仕事をこなそうとしているという主人公である。彼女の過去はほとんど語られないが、彼女が人間不信に陥っていることは確実で、完全に孤独で、しかし心を許せる相手、とくに恋人を求めていることはすぐにわかるという導入になっている。
そこで、新たに助手としてヴァンサン・カッセルがやってくるのだから、すんなりとラブ・ストーリーと行きそうなところだが、決してそうは行かない。物語は思わぬ方向へ進んでいく。その展開はこの映画のスリルなので、ばらすことはしないが、ともかくカルラの心の動きとサスペンスのスリルとが見事に複雑に絡み合い、ぐいぐいと観客を引っ張っていく。
サスペンスのほうは謎解きしてしまうと、映画が面白くなくなってしまうので、カルラの心理のほうを解きほぐして行きたい。
この映画は、サスペンスではあるが、本当の中心はカルラの心理の変化のほうにあるのではないかと思う。まずカルラは孤独な人間不信の女性として登場する。しかし、職安に求人広告を出すときに思わず自分の好みの男性像を言ってしまうように、理想の男性像を持ち、幻想としてそれを常に描いている。それはつまり、自分が理想とする自己像にとってその理想の男性が必要不可欠なのであるということであり、彼女はそのような男性が現れることで自分にある種の完全性が備わると考えているということである。
そして、その候補となる男性が現れる。彼女はその男ポールを自分の幻想の隙間の形に合わせて何とかはめ込もうと試みる。しかしそれはまったくうまくいかず、ポールを知れば知るほど、彼が自分の理想の男性像とかけ離れていることがわかるばかりである。しかしカルラはポールのことが好きになってしまう。
それでも彼女はポールを自分の理想に押し込めようとし、自分がポールを好きだということを否定しようとするのだが、逆にそのはみ出た部分によって自分のほうが変わって行ってしまう。あるいは、自分の新たな部分を発見していく。それは自分の幻想からはみ出たものに接することによって、自己像を書き換えることを要請されるからである。それで彼女は踊り始めるのだ。
つまりカルラはポールに出会い、彼と行動することで、自分の不可視だった部分を発見し、それを受け入れて自分を変革していく。難聴というコンプレックスから解放されたとは言わないが、そこに何らかのポジティブな意味を見出すのである。
この映画は秀逸なサスペンスであると同時に、そのようにして一つの人間観を示す。そして、そのような人間観こそがこの映画の確信であるのだ。だから、監察官の妻が失踪するというプロットとは関係のなさそうな出来事がひとつのサブプロットとして表れてくるのだ。ちょっとネタばれになるが、この監察官の妻が失踪するというエピソードはメインのサスペンスとは何も関係ない。最終的にこの監察官が警察に捕まるところで、このサブプロットは結末を迎える。捕まった理由は明らかにならないが、おそらく妻を殺したのだろうと思う。彼が妻を殺したのは、妻が彼の幻想に占めるべき位置から外れてしまったためなのではないかと思う。彼はそのように妻が自分が構築した世界の外部には乱してしまったことで見えてくる自分の新たな部分を受け入れることが出来なかったのではないか。だから妻を殺してしまったのだ。
つまり、この監察官は完璧なまでにカルラと対置される存在としてこの映画に登場していると考えることが出来るのだ。
もちろん、このような象徴的な意味や対比構造は映画を観ているときには頭に上らないものである。しかし、このような構造がしっかりと土台にあることで、この映画はこのように深みがあって面白いものになったのだと思うのだ。