柳生一族の陰謀
2004/12/15
1978年,日本,130分
- 監督
- 深作欣二
- 脚本
- 深作欣二
- 野上龍雄
- 松田寛夫
- 撮影
- 中島徹
- 音楽
- 津島利章
- 出演
- 萬屋錦之介
- 千葉真一
- 松方弘樹
- 西郷輝彦
- 大原麗子
- 丹波哲郎
- 芦田伸介
- 成田三樹夫
- 真田広之
- 志穂美悦子
- 原田芳雄
- 高橋悦史
- 山田五十鈴
- 中原早苗
- 角川春樹
- 三船敏郎
第2代徳川将軍秀忠の急死、後継の決まらないままの死の中、何者かが霊廟に忍び込み、胃袋を盗み出す。それを指示した家光の指南役・柳生但馬守宗矩は秀光が毒殺であったことを知り、その首謀者と目される同じく家光の側近の伊豆守と春日局に会う。そして家光に、われわれを斬るか、性根を据えて将軍位をつかむかと迫る…
やくざものでヒットを飛ばした深作欣二が挑む本格時代劇超大作。千葉真一とジャパン・アクション・クラブの面々が所狭しと暴れまわり、アクション時代劇という感じ。
どこまでが史実かはわからないけれど、知っているようで知らない歴史の一部分をこのようにドラマ化したものというのは面白いものが多い。この映画には将軍位の跡目争い、幕府と朝廷の争い、そして新陰流という剣術の流派の争い、さらに根来衆の思惑、とそれぞれの利害が交錯して、それが物語を進めてゆくのである。そしてそれらが基本的には歴史上実在した人々から取られている。
といっても、どこまでが事実であったかを知る必要はまったくなく、彼らが実在した人々であることがわかれば、それで映画の面白みを演出するには充分といえるのだ。
そのように演出された上で、この映画は負けることがわかっている忠長の側に観客の視線を据える。勝って将軍になる家光とその一党は家光を将軍位につけるために秀忠を殺し、弟忠長を排斥しようとしている不義の輩なのである。勧善懲悪の時代劇の王道ならば、善である忠長が勝つはずで、観客も安心してみることが出来るわけだが、この映画では善が破れることが最初からわかっているのだ。
さらに、もうひとつ観客をつかむのは根来衆である。史実では秀吉に滅ぼされたとされるが、その根来衆の残党が生き残っているという設定で、ここに真田広之らJACの若い役者が配されて、素朴で魅力的な人々を演じている。しかし、この根来衆は柳生の息がかかっていて、悪の側である家光側に与する。 もちろん物語は史実どおりに家光側の勝利に終わるわけだが、その終盤に二転三転、善悪では割り切れない複雑さがそこに明らかになるという感じになっている。
観客は劇中の誰かに同一化することは出来ず、どこか置いていかれているような感覚を持つことも確かだが、しかし目の前で目くるめく展開される陰謀と裏切りの連続に魅了され、これはこれで引き込まれてしまう。『柳生一族の陰謀』と題されているだけあって、但馬守の権謀術策はひねりが聞いていて面白く、全体的にもまったきエンターテインメントとして上質のものだといえるのではないかと思う。
この映画にはさらに不思議なところが2つある。ひとつはたびたび挿入される静止画、話の展開によってシーンとシーンの間に静止画とナレーションというシーンが挿入されることがあるが、これがかなりの違和感を持ってわれわれに迫る。この静止画の効果はおそらく映画とわれわれの異化である。唐突に静止画が現れることでわれわれは映画から引き離され、その全体を客観視する立場に押し戻される。このことからもこの映画の狙いは観客を映画に引き込むことではなく、観客に映画をある種の見世物として眺めさせ、それを見ることを面白がらせることなのだということがわかる。
もうひとつはネタばれになるので、映画を観てから読んでね。
もうひとつは衝撃的なラストシーンである。
ここに挿入される、史実にはない家光の死(史実にないということはナレーションでもわざわざ明らかにされる)。このエピソードの不思議さは静止画の比ではない。もちろん十兵衛の無念はわかるし、それが家光を殺すに足る動機であることもわかるが、この唐突さは何なのか。そしてもうひとつ、但馬守を駆り立てていたものが新陰流の相伝の巻物であったというのもアンチ・クライマックスの不思議さがある。
しかし、私はこの結末がおかしいとは思わない。この映画の実質的な主人公である但馬守は最終的に求めているものを手に入れた。それは本来禁じられたもの/不可能なもののはずであった欲望の対象であったはずだ。それを手に入れてしまったとき、彼はもう安寧に生きることなど不可能になってしまったのだ。追うものが追われるものになり、彼はもう死ぬまで安心することは出来なくなった。それが発狂につながるというのはある意味では正当な逃げ道である。映画では家光の死にあって但馬守が発狂したということになっているが、家光の死自体が史実に反するものであり、ならば但馬守の発狂は家光の死に先行していると考えるのが自然なのではないかと思う。十兵衛による家光の暗殺が象徴しているのはおそらく但馬守の父殺しの恐怖である。玄信斎を破り、新陰流の相伝の巻物も手に入れた今、但馬守にとって一番の脅威は十兵衛であるのだ。
わけがわからないといえばわけがわからないが、こう考えたほうが腑に落ちるし、ナレーションによるこじつけの結論よりは納得がいくと思う。