第3逃亡者
2004/12/30
Young and Innocent
1937年,イギリス,84分
- 監督
- アルフレッド・ヒッチコック
- 原作
- ジョセフィン・ティー
- 脚本
- チャールズ・ベネット
- エドウィン・グリーンウッド
- アンソニー・アームストロング
- 撮影
- バーナード・ノールズ
- 音楽
- ルイス・レヴィ
- 出演
- デリック・デ・マーニイ
- ノヴァ・ピルブーム
- パーシー・マーモント
女優のクリスティーヌが夫と口論をした翌朝、浜に死体で打ち上げられる。そこを通りかかったロバートはそれをクリスティーヌと認め、走り去るところをふたりの女性に見られた。ロバートは助けを呼ぶためだったと弁解するが、容疑者として裁判の場に。しかしロバートは隙を見て裁判所から逃げ出した…
ヒッチコックのイギリス時代の傑作のひとつ。ヒッチコックのパターンの典型ともいえる「無実の罪を着せられた男」もののひとつで、その純粋な形とも言える作品。
「無実の罪を着せられた男」はヒッチコックの重要なテーマである。そのテーマはアメリカにわたってからも追求され、主人公が無実の罪を着せられるというパターンは枚挙に暇がない。後期の作品では、その筋立てに様々な仕掛けが重ねられ、その「無実の罪を着せられた」という部分はあくまでも筋に過ぎないようになってしまっているが、この作品ではそのパターンの典型的な例が純粋な形で登場している。つまり、これ以降の同じパターンの作品は、この作品のアレンジ、この作品を土台にして別の要素を付け加えて行ったものと考えてもよさそうなのだ。したがって、この作品からその「無実の罪を着せられた男」というパターンを観察すれば、ヒッチコックがこのパターンの映画でまず何を問題にしているのかが見えてくるのではないかと思う。
このパターンでは、まず観客には無実とわかっている男があれよあれよというまに有罪にされる、あるいは有罪にさせられそうになる。この作品ではほとんど有罪が確実になる。そこでその男は逃げ出し、逃亡者となる。そして、そこに彼を無条件で信じるヒロインが登場する。ヒロインは彼を助け、追っ手から彼を逃がそうとする。それからすったもんだがあって結末は彼の無実がはれ、その男はヒロインと結ばれるか、結ばれるのではないかという期待を持たせて終わる。そのようなものである。
では、まずその「無実の罪」とはいったい何か。まず「無実の罪」をテーマにするひとつの理由としては観客を引き込みやすいというモノがあるだろう。「無実の罪を着せられる」ということは、観客にしてみれば、いつ自分の身にも降りかかってくるかわからないものである。自分が無実である以上、いつでも「無実の罪」を着せられる可能性があるというわけである。しかし、ヒッチコックはただそれだけの理由でこのパターンを多用しているわけではないと思う。この「いつ無実の罪を着せられるかわからない」という心理の裏には、自分が「罪を犯している」という意識がどこかにあるのではないかと思うのだ。「無実の罪を着せられるのではないか」という恐れは、自分がこれまでに罪を犯してきたのにそれが罰せられていないという思いの変化したものなのではないか。因果応報という考え方からすれば、犯した罪はいつか報いられる。ならば、それはいつか「無実の罪を着せられる」という形で降りかかってくるのではないか、という心理が常にどこかで働いているのではないかということである。
そうだとしたら、必ず登場するヒロインというのは救済を意味している。自分の侵した罪に対して罰が下れば、次に来るのは救済である。自分が犯した罪に対して「無実の罪を着せられる」という報いが来たならば、その無実を晴らすという救済が次にはやってくるはずであるというわけである。
こう書くとキリスト教的に聞こえるが、これは必ずしもキリスト教に限った話ではない。因果応報というのは人々の心を深い部分で縛っている倫理である。それは人間が物事を因果律に従って考えるからであり、常に原因と結果の連なりによって物事を捉える傾向があるからだ。そのような因果律が倫理に応用されると、悪いことをすれば罰が下り、よいことをすれば報酬があるということが原則のように思えてくるわけだ。そして、悪いことに対して罰が下れば、それで罪はチャラになり、それ以上の罰は下されないはずだと考えることになる。
だから、「無実の罪を着せられた男」には救済が必要なのである。
つまり、このヒッチコックのパターンというのはひとつの寓話なのである。この寓話によってヒッチコックは観客の位置を安定させ、その上で様々なものを見せる。それがこのパターンの持つ意味なのではないかと思うのだ。
したがって、この映画が後期の同じパターンのに比べてやや迫力に欠けるのはその付け加えられたものが少ないからということになる。が、この「無実の罪を着せられた男」というパターン以外でも、ヒッチコックらしさといわれる要素が垣間見えて(たとえば、ダンスのシーンでの少しずつ犯人へと迫っていくカメラの移動=トラベリング)ヒッチコックファンならきっと面白いはずだ。