有楽町で逢いましょう
2005/1/5
1958年,日本,97分
- 監督
- 島耕二
- 原作
- 宮崎博史
- 脚本
- 笠原良三
- 撮影
- 秋野友宏
- 音楽
- 大森盛太郎
- 出演
- 京マチ子
- 菅原謙二
- 川口浩
- 野添ひとみ
- 山茶花究
- 北林谷栄
- 叶順子
大阪でフランスから帰国後はじめてのファッションショーを開いた小柳亜矢はその評判に気をよくして東京に戻る。その小柳の店に洋服を頼んだ女子大生の篠原加奈はその洋服に満足して帰るが、かえって兄に酷評され、直してもらおうと翌日ふたたび店を訪れるが、小柳はおらず、代わりの弟の武志がいて、加奈に同意してしまうが…
そごうの東京進出にあわせて企画された「有楽町で逢いましょう」キャンペーンの共同企画で製作された映画。平凡に連載された原作も、フランク長井が歌った主題歌もその企画の一環として製作された。
日本映画の黄金時代といわれる昭和三十年代には、この手の映画はあまたとある。世の中が変化していく中での世代間のギャップと衝突で、とくに若者の恋愛の自由によってそれが表現されるという展開とくれば、まさに典型的なモダニズムの映画になる。この映画もその例に漏れず、しかもその若いカップルを野添ひとみと川口浩が演じるとなると、同じような作品が大映で何本も作られているんじゃないかとついつい思ってしまうほどの典型的なパターンである。しかし、とりあえず面白いからそれだけ繰り返し作られているともいえるのだ。結局結婚することになった野添ひとみと川口浩のコンビはまさに息ぴったりで見ているほうまで幸せになってくる感じなのだ。それは、メグ・ライアンとトム・ハンクスのコンビの比ではない。
そしてこの映画ではそごうとの共同企画ということもあってか、もうひとつ京マチ子と菅原謙二という組み合わせが登場する。映画のプロットから言えば脇役の位置が割り振られそうなものだが、映画を見てみると完全にこのふたりが主役、というより京マチ子が主役。京マチ子演じる小柳亜矢と周りの人々との関係がこの映画を貫く物語となっているのである。
そして、この京マチ子の物語もまた別の典型的なパターンである。おそらく戦争で両親を亡くし、若くして(おそらく十代で)自分の身一つで弟や妹の世話をしなくてはならなくなってしまったという設定で、そこから仕事をバリバリとこなすようになり、気づいてみれば仕事上ではそれなりの立場を築いたけれど、自分の惚れた腫れたはそっちのけ、結婚しようにも相手がいない。そんなパターンなのだ。
このパターンにはまった男女が出会い、その弟と妹同士も出会う、となれば、あとの展開は読めたもの。言ってしまえば映画が始まってものの10分で映画の最後まで展開が読めてしまうのだ。
しかし、それでこの映画が面白くないということにはならない。まずこの映画は基本的にラブコメである。ラブコメというのはまず物語の展開なんてのは最初からわかったようなもの、その物語が展開されていく途中の枝葉の部分で感動したり笑ったりハラハラしたりするものである。この映画もまさにそう。笑いはそれほど多くはないが、加奈と武志のすれ違いの場面ではかなりハラハラさせられるし、世代の違いを超えて兄弟が和解するところではそれなりの感動もある。
とくにすれ違いの場面は非常に効果的だ。映画の展開の上でも効果的だし、そごうの天使の像を観客に印象付けるためにも非常に効果的である。今で言えばタイアップということで多少反発心を覚える面もあるが、軽いラブコメにそんな文句を言っても仕方がない。
ラブコメだからこれでいいのだ。メグ・ライアンの作品を見たときと同じように、そんな感想が湧き上がってくる。『ユー・ガット・メール』だってAOLとのタイアップ映画だし。この作品の舞台をニューヨークにして、そごうをメイシーズにして、野添ひとみをメグ・ライアンに(いまならリース・ウィザースプーンに)してとってもまったく違和感ないはずだ。
そんなラブコメ。