ブロンド・ライフ
2005/1/6
Life or Something Like it
2002年,アメリカ,103分
- 監督
- スティーヴン・ヘレク
- 脚本
- ジョン・スコット・シェパード
- ダナ・スティーヴンス
- 撮影
- スティーヴン・H・ブラム
- 音楽
- デヴィッド・ニューマン
- 出演
- アンジェリーナ・ジョリー
- エドワード・バーンズ
- トニー・シャルーブ
- クリスチャン・ケイン
- ジェームズ・ギャモン
- メリッサ・エリコ
シアトルのローカル局でレポーターを務めるレイニーは地元で人気のメジャー・リーガーのカルと優雅な暮らしをしていた。そしてさらに全国ネットのキャスターになるチャンスがやってきた。そのために因縁のあるカメラマンピートと取材に出かけるのだが、街で噂のジャックという自称預言者に来週の木曜日に死ぬといわれ、ショックを受ける…
アンジェリーナ・ジョリーが金髪に姿を変えて演じたロマンティック・コメディ。展開にスリルもあるライトなタッチのヒューマンドラマという感じ。
アンジェリーナ・ジョリーの金髪には最初から違和感がある。もともと金髪という印象がないせいなのかと思ったが、そうではなくて彼女の顔には金髪は似合わないのだと思う。肌の色も少し浅黒いし、顔の造作もいわゆる金髪っぽい顔ではないのだ。だから映画が進んでもなかなかその金髪に慣れることが出来ず、どこかで作り物じみた印象を受けてしまう。
しかし、映画を見進めるとそれはこの映画に非常に重要なことだということがわかる。それに気づくのは、映画の中盤、自分が一週間で死ぬと思い込んだレニーが家を散らかし、風呂にも入らず、コンタクトも入れずに留守にしていた婚約者のカルを迎えるシーンだ。ここでのレニーももちろん金髪だが、髪はぼさぼさでメガネをかけている。カルはそれを見てショックを受けるのだが、われわれから見れば、どう見てもこの姿のほうがそれまでの姿よりも魅力的なのである。それはそのあとのデモのシーンにも共通する。
つまり、問題だったのは金髪ではなく、彼女のスタイルだったのだ。髪をカールさせ、ブランドのスーツに身を包んだその姿が彼女には似合わなかった、ただそれだけのことだったということが、このあたりでわかってくる。それはすなわち彼女のそのような日常の格好が彼女の本来の姿ではないということを意味しているし、それはそのような生き方が彼女本来の生き方ではないということを暗示している。
ここまで書いたら、物語のすべてを語ってしまっているようなものだが、つまりはそういうことだ。カルはその本来の姿ではないレニーのことを好きだったのに対し、ピートは本来の彼女のことを好きだった。ただそれだけの話なのである。あとはレニーの気の持ちよう。
そう考えると、この映画は基本的にピートの視点で語られるということになる。カールした髪型とブランドのスーツが彼女に似合っていないと感じるのはまさにピートの視線だし、ぼさぼさの彼女の髪を魅力的と感じるのもピートの視線だ。この映画はそのような視線のあり方を巧みに導入し、アンジェリーナ・ジョリーも見事にその違和感を演じているのだということが出来る。その辺りは非常に巧妙だ。
物語のほうに戻って、問題になるジャックの預言だが、それはピートの言うとおり生き方を変えるために与えられた啓示であったのだ。
したがってそのことに気づいたなら、その預言が実現するかどうかはもう重要ではなくなる。にもかかわらず、この映画は最後までその預言にこだわり、最後の最後になくてもいいひとり語りを挿入して映画を台無しにしてしまう。この蛇足としか言いようのないひとり語りがなければそれなりに面白い映画だったのに、これですべてが台無しである。
ラストシーンですべてが救われる映画もあれば、すべてが台無しになる映画もあるが、この映画は後者の典型的な例だ。ほんの一分ほどの台詞でそれまでの一時間半がすべて台無しに。もったいないなぁ…