ガール・ネクスト・ドア
2005/1/18
The Girl Next Door
2004年,アメリカ,110分
- 監督
- ルーク・グリンフィールド
- 脚本
- スチュワート・ブラムバーグ
- 撮影
- ジェイミー・アンダーソン
- 音楽
- ポール・ハスリンジャー
- 出演
- エリシャ・カスバート
- エミール・ハーシュ
- ティモシー・オリファント
- ジェームズ・レマー
- クリス・マークエット
学校で生徒会長を勤め、ジョージタウン大学への入学も決まった高校生のマシューだったが、卒業アルバムに書くような“思い出”が思いつかない。かといって授業をサボって遊びに行く踏ん切りもつかず、悶々としていた。そんな時、隣に突然、美女が引っ越してきて、しかもその夜、着替えを窓から目撃してしまう…
さえない男が主人公というティーンズムービーのパターンのひとつ。TVドラマ「24」でブレイクしたエリシャ・カスバートが主演ということで話題に。
こういう作品を見ていると、ティーンズムービーというのは御伽噺に過ぎないのだなぁと思う。アメリカ人は(決め付けてはいけないけれど)子供の頃からディズニーアニメを見て育ち、10代になるとこういうティーンズムービーを見て、20代になるとハリウッド超大作とラブコメを見る。本当に疑いもなくこのように映画を観ているのだとしたら、ハリウッドの戦略は大成功しているのだろう。なぜなら、これらの映画に共通しているのはそれがすべて御伽噺だということだからだ。御伽噺というのはストーリーラインが単純化され、基本的な話の展開がパターン化された物語、パターン化されているため結末が予想できるので、安心してみることができる。しかし、それは逆に言えばまったく考えなくてもいいということでもある。ただ映画の登場人物の立場にある自分を想像し、映画の流れに身を任せ、自分が体験しなかった冒険や青春や恋愛を疑似体験する。そのようにして人々は考えることを辞めるのだ。
私も、何も考えなくてもいい映画を観ようと思ってこの映画を手にしてみたわけだが、それにしてもあまりに考えるべきことがなさ過ぎる。あまりに現実と乖離しすぎていて、映画に入り込むことすらできない。それはおそらく、私がもう10代ではないからだろう。この映画が表現しているのは、10代の夢物語だから、そのような夢を描ける年代の観客じゃなければ楽しむことはできないのだ。だから、20代なら20代用に、30代なら30代用に、60代なら60代用に用意された夢物語を見なければいけないということだ。
これを洗脳と呼ぶ気はないが、ある種の教育ではあるだろう。忙殺される生活の息抜きに映画を観る。その時に小難しい映画なんか見たくない。それなら、エイリアンものなんかを見て、子供にはディズニー見せて、頭を空っぽにして、リラックスして、また仕事に励みなさい。そんな教育がアメリカという社会にはいきわたっているような気がする。そして日本もそのようになりつつある。そのように感じてしまうのだ。だから、ハリウッドの大会社はいつまでも安泰なのだ。
この映画を見てそれを強く感じるのは、この映画の物語があまりにアリエネー話だからだ。さすがにこんな話を信じるほどアメリカ人も日本人もバカじゃないだろうと思ったからだ。途中まではまっとうな御伽噺であり、映画に没頭することもできそうなのだし、最後にはそれなりのドキドキ感もあるのだけれど、見終わってみると「んなアホな」という感想しか出てこない。それは10代でもそうだろう。こんな話を信じると本気で考えているのだとしたら、それはあまりに子供をバカにし過ぎってもんだ。
しかも「んなアホな」のレベルが高くて笑えてしまうほどでもないので、B級映画として楽しむわけにも行かない。そんな中途半端な映画だから、その背後にハリウッドのたくらみのようなものが透けてみるのではないだろうか。