悪い男
2005/1/21
Nabbeun namja
2001年,韓国,103分
- 監督
- キム・ギドク
- 脚本
- キム・ギドク
- 撮影
- ファン・チョリョン
- 音楽
- パク・ホジュン
- 出演
- チョ・ジェヒョン
- ソ・ウォン
- チェ・ドンムン
- キム・ユンテ
- キム・ジョニョン
ベンチに座る女子大生に目をつけたチンピラ風の男、その女子大生ソナがやってきた彼氏のもとに駆け寄ると、その男ハンギは強引にソナの唇を奪う。周囲は騒然となり、ハンギは取り押さえられ、ソナにつばをはきかけられるが、その日からハンギはソナを付回すようになる…
『魚と寝る女』などで独特の暴力的な世界観を表現するキム・ギドクが無言の男を主人公として撮ったバイオレンス純愛ドラマ、力強さはあるが話が面白くない。
言いたいことはわかる。暴力でしか自分を表現できない男、高倉健ではないけれど「不器用ですから」といいそうな男が、一人の女に目をつける。そこにはただ一人の女に目をつけたというだけにはとどまらない何かがありそうだと感じさせる。そして男はその女への感情を表現するために暴力的な行為に出る… そこまではわかるが、「だから何?」といいたくなる。男がまったくしゃべらないというのも思わせぶりなようではあるが、だから何? だし、痛々しい描写も、だから何? なのだ。だから何、だから何、と思いながら映画を観続け、見終わってみても「だから何?」としか言いようがない。
そう思ってしまうのは、ひとつにはあまりにリアリティがないからだ。今の日本に住んでいる私の目からリアリティがないというだけなのかもしれないが、あまりにリアリティがなさ過ぎる。だまされて借金を作らされ、そのかたに売春宿に売られるなんて、50年も前の話ならわかるが、今そんな話が通用するとはとても思えない。しかも、50年前の話として映画で見たことがあるような気さえする。日本の60年代くらいの映画にはこんな主題のものが結構あった。太陽族とかそのあたりの女子学生か何かが男にだまされてやくざに売られ、無理やり売春させられる。たとえば増村保造の『しびれくらげ』なんかもそんな話ではなかったか…
だから、まず今の時代にこんな設定の映画を観ると、どこか時代感覚がずれているような気がしてしまうのだ。そして細部にもリアリティがなく、どうしてもこれが現実の話とは思えないのだ。ならば、幻想的な物語(『魚と寝る女』はかなり幻想的な物語だった)として捕らえることができるのかといえば、それも無理だ。映画としては幻想的とも取れる要素を盛り込んではいるのだが、これまた「だから何?」というエピソードなのだ。
この「だから何?」のもうひとつの理由は、この映画の展開がほとんど先に想像できてしまうということにある。しかも「こうなったらやだなぁ…」という方向に展開していくのである。つまり、映画はつまらないほうつまらないほうにどんどん進んでいく。まったくそれは目を覆いたくなるような光景だ。
この映画から何かを考えようとするならば、ここで起こっていることを他人事として見つめる自分に立ち返ってみることだ。もしこのような状況に自分が立ち会ってしまったとき、自分はどの立場に身をおくのかということを考えてみることだ。非情なチンピラになるのか、同情しながらも搾取するのか、危険を顧みず救い出そうとするのか、ハンギのように複雑な態度をとるのか。
そう考えてみると、この映画の主人公たちに入り込めないというのは当然なのかもしれないし、そのように作られているのかもしれないとも考えられる。観客はまず無責任な客の立場に追い立てられるのではないだろうか。この映画はきわめて男根主義的な映画なわけだが、まさにその男根そのものともいえる客の立場に立たされるのだ。そして、事情を知ったとしたらあなたはどうするか、結局見てみぬふりをするんじゃないのか? そんな疑問を突きつけられているのかもしれない。
そう読み取れるならば、この映画には痛烈なものがあるということになるが、この映画にはほとんどの観客をそこまで引っ張っていく構造がないと思う。だからやはり、ほとんどの人にはただ嫌な暴力的なシーンを見せられ、どうしても好きになれない狂った男の行状につきあわされるだけのつまらない映画なのではないかと思う。