10ミニッツ・オールダー イデアの森
2005/1/24
Ten Minutes Older: The Cello
2002年,イギリス=ドイツ=スペイン=オランダ=フィンランド=中国,106分
- 監督
- ベルナルド・ベルトルッチ
- マイク・フィギス
- イジー・メンツェル
- イシュトヴァン・サボー
- クレール・ドニ
- フォルカー・シュレンドルフ
- マイケル・ラドフォード
- ジャン=リュック・ゴダール
- 脚本
- ベルナルド・ベルトルッチ
- マイク・フィギス
- イジー・メンツェル
- イシュトヴァン・サボー
- クレール・ドニ
- E・マックス・フライ
- マイケル・ラドフォード
- アンヌ=マリー・ミエヴィル
- 撮影
- ルーシー・ブリストウ
- ティルマン・バットナー
- トニー・シャピス
- ファビオ・チャンチェッティ
- ダニー・コーエン
- マイク・フィギス
- アニェス・ゴダール
- ジュリアン・ハーシュ
- アンドレアス・ホファー
- アルベルト・コダゴリアン
- ロホス・コルタイ
- レオ・マクドゥガル
- キルスティン・マクマーン
- ライオネル・ペリン
- パスカル・ラボー
- 音楽
- ブライス・ルボック
- ジョスリン・ポック
- 出演
- アミット・アロッツ
- マーク・ロング
- ルドルフ・フルシンスキー
- インディゴ・バンサギィ
- ジャン=リュック・ナンシー
- ビビアナ・ペグロー
- ダニエル・クレイグ
世界の名監督15人が“時間”をテーマに10分の短編を制作したアンソロジーの2本のうちの1本。こちらの目玉はなんと言ってもベルトリッチとゴダール。ベルトリッチの『水の寓話』は労働者として外国にやってきたアラブ系の青年の物語、ゴダールの『時間の闇の中で』は様々な「最後の瞬間」を象徴的に示す映像詩のごときもの。
その他の作品はフィギスの『時代×4』、メンツェルの『老優の一瞬』、サボーの『10分後』、ドニの『ジャン=リュック・ナンシーとの対話』、シュレンドルフの『啓示されし者』、ラドフォードの『星に魅せられて』の全8編。
それぞれの作品について何か言うとしたら、まず面白かったのはベルトリッチの『水の寓話』、シュレンドルフの『啓示されし者』、ラドフォードの『星に魅せられて』、ゴダールの『時間の闇の中で』というところ。
まず、ベルトリッチの『水の寓話』はシンプルながらよくまとまっていて面白い。時間について語るときには、循環する時間と因果関係を絡めるというのが常套手段であるが、この作品もそのバリエーションのひとつとなっている。この物語では何年もの時間を過ごす青年と、その時間の経過の後再会した老人とを描いているわけだが、その老人の経験した時間はほぼ一日に過ぎない。この老人は魔術的な存在と考えることもできるが、“時間”がテーマであることを考えると、時間の経過の仕方の違いに過ぎないとも考えられる。
つまり、それは主観的な時間の流れ方の違いを現実化したものだ。主観的な時間通りに物理的な時間も経過するとしたら、われわれの人生の長さは人によって大きく違ってくるだろう。
同じようなことを言っていて面白いのがラドフォードの『星に魅せられて』だ。この作品のほうはタイム・トラベルを利用したSFでまず制限の多い中でSFに挑戦したということに賛辞を送りたいが、物語としても非常に面白い。大まかに言えば、10分間の間に80年間を過ごしてしまう男の物語で、おそらくほぼ光速の速度で80光年を航海(航宙?)し、帰還したロケットに乗っていた男の10分間とその息子の80年間が対比されるという構造になっている。これも主観的な時間の差を物理的な時間の差として現実化したものだが、さらに言えば、息子にとってはその80年間は父親との関係性の上では10分間に過ぎないということもいえるのではないか。つまり、ここでは単純に人それぞれの主観的な時間の差のみならず、一人の人間の内部でも、様々な事柄に対して主観的な時間には差があるということを言っているように思える。それはたとえば一年ぶりにあっても久しぶりとも思わない友達もいれば、3日あっていないだけで、その間が果てしなく長く感じられる友達もいるというようなものかもしれない。
シュレンドルフの『啓示されし者』はこの中でもっともシンプルと言っていい作品だろう。古典的な時間哲学を素材にして、それを映像的に面白く作った。10分という制約があることを考えるなら、このような作り方はすごく素直でセンスがいい。未来とは常に予想外のものであり、それが存在する(present of future:字幕では「未来の現在」と訳されていたが、「未来の存在/現存」という意味にも取れる)というのは、予感でしかないか、あるいは信仰でしかない。そのようなことを説明するのではなく、実感させるというのがとてもいい。
ゴダールはいつでもゴダールだ。何が面白いのかよくわからないけれど、ついつい見入ってしまう。ひとつひとつ「何とかの最後の瞬間」と題された一分前後の映像の断片は、それが意味するところが明らかにはならないことを予想していながらついつい、そこに何が描かれるのかという興味によって映画に引きずり込まれてしまうのだ。結局何を言っていたのかはわからないが、その10分間、観客をその映像に集中させるという部分でやはり天才的なのだ。
果たしてこれらの作品は本当にすべて10分だったのか、ゴダールの作品を見終わったところで、そんな疑問が生じた。それはこの作品集によって実感することができる主観的時間の違いということだ。
この8本から私に見えてきたのは「主観的時間」というテーマである。フィギスとドニの作品は少し違う感じはしたが、全体的に言えばそんな感想を持った。