シークレット・ウインドウ
2005/2/5
Secret Window
2004年,アメリカ,96分
- 監督
- デヴィッド・コープ
- 原作
- スティーヴン・キング
- 脚本
- デヴィッド・コープ
- 撮影
- フレッド・マーフィ
- 音楽
- フィリップ・グラス
- ジェフ・ザネリ
- 出演
- ジョニー・デップ
- ジョン・タトゥーロ
- マリア・ベロ
- ティモシー・ハットン
- チャールズ・ダットン
人気ミステリー作家モート・レイニーの家に、自分の小説を盗作したと訴えるジョン・シューターという男が現れる。身に覚えのないモートはそれを無視するが、呼んでみるとその小説は確かにモートの作品に瓜二つだった。モートは一方で半年前に浮気現場を目撃した妻との離婚が進行中だったのだが…
スティーヴン・キング原作によるサスペンス・ホラー。ジョニー・デップとジョン・タトゥーロという組み合わせが面白いが、それ以外に見所はなし。
スティーヴン・キング原作の映画のどれもがホラーというわけではないが、やはりキングといえばホラー、ホラーを欠かせれば一級品であることは間違いない。しかし、そんなキングの作品も映画になってしまうと結構失敗作というのも多い。それはキングがこれほどの大物作家でありながら作品は必ずしも大作ではないというところにもよる。それは時には意外な面白さを生むこともあるが大失敗してしまうこともある。
この作品は明らかに後者で、映画としてまったく面白くない。ホラーという意味では確かに観客を怯えさせるが、その怯えは心の何かをつかまれて怯えるというのではなく、突然大きな音がしたり、不気味なものが登場するのではないかという予感による怯えでしかない。確かに大きな音や突然登場する人影などで観客を驚かすというのはホラーの常套手段だが、それが映画の中心になってしまっては元も子もないといわざるを得ない。
だから、この映画は見ているうちにだんだんと見るのがいやになってくる。最初こそジョン・シューターの謎が気になって、物語に引き込まれるが、映画がまだ前半の間に、その謎の答えにうすうす気がついてきてしまうのだ。そこから先は自分の推量が正しかったことの確認作業でしかなく、それがなかなか進まなくていらいらするだけで、その上無意味に大きな音などで肝を冷やされてやりきれない。
ジョニー・デップもジョン・タトゥーロも最初のほうは底知れないような雰囲気をかもし出していて、いい感じなのだけれど、映画が進むにつれてだんだんただどこかが切れただけのおかしな人に見えてきてしまうのだから不思議なものである。
映画を振り返ってみて、この映画で一番面白かったのはどこかなぁ、と考えてみると、そんな映画の尻すぼみっぷりを象徴するかのように、映画の冒頭のシーンであることに気づく。そのシーンはカメラがモートの家を自由自在に動き回ってその全体像を写しているシーンなのだが、その最後にモートへとカメラが向かっていくときに鏡をすっと通り抜けるのだ。ここは「はっ」とさせられ、しかもそれが意味があったのだと後々気がつかされる。
この始まって僅か3分ほどのところにあるシーンこそが、この映画のクライマックスで、そこからはただただなだらかな下り坂、残りのおよそ90分では、映画の盛り上がりも面白みも右肩下がりにだだ下がりである。