ボーン・スプレマシー
2005/3/2
The Bourne Supremacy
2004年,アメリカ,108分
- 監督
- ポール・グリーングラス
- 原作
- ロバート・ラドラム
- 脚本
- トニー・ギルロイ
- ブライアン・ヘルゲランド
- 撮影
- オリヴァー・ウッド
- 音楽
- ジョン・パウエル
- 出演
- マット・デイモン
- フランカ・ポテンテ
- ジョーン・アレン
- ブライアン・コックス
- ジュリア・スタイルズ
- カール・アーバン
- ガブリエル・マン
CIAの女性幹部パメラ・ランディはベルリンでの事件を追い、諜報員取引をモニターしていた。しかし、そのモニターから突然銃声が聞こえ諜報員とその取引相手は殺され、求めていたファイルと金が持ち去られた。一方、2年前に命からがらインドに逃げ延びた記憶喪失の元CIA工作員、ジェイソン・ボーンは恋人のマリーと穏やかに暮らしていたが、そこに怪しげな影が忍び寄る…
ロバート・ラドラム原作の「ジェイソン・ボーン」シリーズ、『ボーン・アイデンティティ』に続く第2作。原作が3部作なので、おそらく映画も第3作が作られると思われる。今回も、しっかりしたシナリオとスリリングな展開で観客をひきつけるが、映像がゆれすぎて少し酔う。
前作もまあまあだったという気がするが、なんだか同じ頃に見た似たような記憶喪失映画『ペイチェック 消された記憶』と混ざってしまって今ひとつ細部が思い出せない。そのせいで、この映画の冒頭で前作を引きずって恋人が出てきたり、人名が出てきたり、作戦の名前が出てきたりするその名前の意味はちっともわからなかった。それがわからないと、意外となかなか映画に入っていけない感じのつくりで、前作が気に入って内容をしっかりと覚えている人なら、すっと映画の世界に入っていけるだろうが、前作を見ていないとか、よく覚えていないとかいうほとんどの人にはとっつきにくい映画なのかな、という印象が最初はあった。
しかし、実は、この作品の主要登場人物であるパメラ・ランディというCIA女性幹部もその名前やら作戦のことはまったく知らないという設定である。なので、前作がよくわかっていない人は、このパメラ・アンディに自分の立場の一部を預けて見ればいいという逃げ道が用意してあり、そのあたりの受け皿の広さにはなかなか感心した。
そして、前作のときにも思ったのだが、この作品も原作が面白そうだ。この原作は書く本がすべてベストセラーになるといわれるアメリカのミステリ作家ロバート・ラドラム(残念ながら2001年に73歳で他界)の『惨殺のオデッセイ』。これはジェイソン・ボーンを主人公とした3部作(『暗殺者』『惨殺のオデッセイ』『最後の暗殺者』)の第2作に当たる。まず、記憶喪失の元CIA工作員(暗殺機械)という発想が凄くいい。なぜなら、この設定なら何でも出来るからだ。ボーンはスーパーマンであり、そして頭の中は白紙。すでに能力的にはスーパーマンである彼にどのようなキャラクターでも植えつけることが出来るのだから、こんな楽しいことはない。そして、ラドラムはこのボーンを冷静で時には冷酷だけれど、自分に対して率直で誠実なヒーローに仕上げた。この組み立てが見事である。
だから、映画のほうも、このボーンのキャラクターに引っ張られて、力強く進んで行く。憎むべき敵を見つけ、そいつに罰を下す。ただそれだけを目的として突き進むヒーロー、その構図はすばらしく魅力的だ。
だから、この映画はなんとなく観ていると、スーッと通り過ぎ、あっという間に時間は過ぎ、「なかなか面白かったなぁ」という感想だけを残して消え去って行く。こういう映画は、続編が出ると、なんとなく面白かったということだけを覚えているからついつい見に行ってしまう。まあ、今回の私がそうだったわけで、おそらく第3作でも同じことを繰り返すだろう。
と、基本的には面白かったのだが、いかんせんカメラが動きすぎる。特に強く感じるのがアクションシーンで、特にチェイスシーンがひどい。あまりに動きすぎていったい何が起こっているかわからない。ただカメラを動かしゃ迫力が出るってもんじゃない。
わたしは、チェイスシーンでやたらとカメラが動くのを見るたびにいつも「人間は走っているときにそんな風に視界は揺れない」と思ってしまう。まあ、カメラマンが走っているのだから、いくらステディカムとは言っても、揺れるのは仕方がないことなのだが、そんな単純な問題ではないような気がする。
なにせ、別に手持ちにしなくたって、レールを敷いてトラッキングショットにするとかいろいろやり方はあるわけだ。
にもかかわらず、わざわざ手持ちにして、見にくい揺れる画面を観客に見せるというのには何か意図があるはずだ。というより、これだけ頻繁にそのようなシーンが登場するところを見ると、これはハリウッドの文法のひとつなのではないかと思ってしまうのだ。走っていることを強調するためには手持ちカメラで追いかけて画面を揺らせ! だって走ってたら揺れるだろと。そのほうが映像に勢いがあるように見えて、映像に迫力が出るぞ! と。
しかし、実際は人間の目というのは不思議なもので、走っているときには確かに目は体ごと揺れているのに、見ている映像というのは決してぶれない。これはおそらく微妙に頭と目が動いて対象を視界の中心に捉える続けることによって実現されているのだと思うが、そのような視界に日常生活でなれている観客にはどうしたってその揺れ揺れの映像は違和感があるはずなのだ。
この作品は特にそれがひどく、走っている以外の場面でもやたらと画面が揺れ、ちょっとした映画酔い状態に。なんだか頭がくらくらしてきてエンドロールは見られなかった。
前作にはそんな印象はないけれど、カメラマンは同じなので、そんなに大きくは変わっていないだろう。多分、なんとなく面白かったという記憶にかき消されてしまったのだろう。なので、今回はしっかり書いておきます。この映画は酔う!