紅の豚
2005/3/14
1992年,日本,91分
- 監督
- 宮崎駿
- 原作
- 宮崎駿
- 脚本
- 宮崎駿
- 撮影
- 旭プロダクション
- 谷口久美子
- 撮影
- 久石譲
- 出演
- 森山周一郎
- 加藤登紀子
- 桂三枝
- 上條恒彦
- 岡村明美
- 大塚昭夫
戦間期のイタリア、飛行艇を駆使した“空賊”が跋扈する中、その空賊と戦って賞金を稼ぐ腕利きの飛行艇乗りのポルコ・ロッソ。何かの呪いで豚になってしまったその男は空賊たちに敵視され、空賊たちはアメリカから凄腕の飛行艇乗りミスター・カーチスを呼び寄せ、ポルコを倒してもらおうと考えた…
宮崎駿が自身の短編漫画を長編映画化。1920年代のイタリアというしゃれた舞台にしゃれた雰囲気、しかし主人公は豚。いわゆる宮崎駿のスタイルとは少々違う味わいがあっていい。
この主人公ポルコ・ロッソという人物(?)は非常に魅力的だ。一匹狼だが人情味に厚く、女には弱い、そしてもちろん強い。宮崎駿の映画の系譜で言えば、『ナウシカ』のユパ様という人物が拡大され、ひとつのキャラクターを形作ったもののように思える。
この作品は主人公が少女ではなく、そのような大人の男であるということで、まず宮崎アニメの中で異彩を放つ。それによって、全体的なイメージも他の作品と変わってくるのだが、そのことで宮崎アニメの持つ子供っぽさが緩和され、大人でも楽しめるアニメという地位を確立したのではないかと思う。
そして、舞台となっているのが戦間期のヨーロッパであるというのもいい。戦間期のヨーロッパとは、欧米化された日本にとってはノスタルジーの対象である。そのノスタルジーは同時期の日本に対するものより強いだろう。光り輝く古きよき時代、そのようなイメージが戦間期のヨーロッパにはあるような気がする。それはある意味では伝統の捏造、日本のルーツがそこにあるという幻想に基づいているのではないか。戦後の日本がアメリカに新奇さを求め、憧れの対象となり、しかしそれに辟易してきたとき、そのルーツたるヨーロッパにノスタルジーを感じる。そのような迂回されたノスタルジーによってこの映画は彩られているのではないか。
そのような要素によってこの映画は他の宮崎アニメとは一線を画しているようなのだが、しかし、根本的な部分では他の映画と全く変わりないといってもいい。 1つは主人公が豚ということ。宮崎駿の特徴のひとつは反人間的なものとして、あるいは人間世界の親概念としての自然界を物語世界に取り入れることである。ナウシカの腐海、ラピュタの城、などなど人間が不在で自然に支配された空間というものが大きな力を持つ世界を描いているのだ。この作品にはそのような世界は出てこないが、その代わりに主人公のヒーローを人間ではなく豚にすることでその自然を割り込ませている。映画の中では豚になったことを呪いといっているが、実はそれは呪いではなく天恵であり、ポルコは豚であることによって超人的な力を得ているのではないか。
もう1つは少女の存在、このポルコのメカニックとなるフィオはナウシカを筆頭とする宮崎アニメのヒロインの典型的な系譜に属する。宮崎アニメの中心にあるのは常に女性だ。それも決して男勝りの女性というのではなく、少女らしさを持っているけれど、秀でた能力によって活躍するという存在、見た目はか弱いけれど芯は強い、そのような少女が常に物語の中心に存在するのだ。フィオはまさにそのような女性であり、彼女の登場によってこの映画は宮崎アニメの1つとして完成する。
つまり、この映画の中心にあるのは人智を超えた力を持つ自然と、その自然と交流することによって活躍する少女なのである。それは宮崎駿の映画の一貫したテーマあるいはエッセンスなのだ。この作品がその点で他の作品と違っているのは、その自然がポルコ・ロッソという擬人的な形を取って出現するということだけだと言っていいかもしれない。
つまりこの映画はエンターテインメントとして面白いことは言うまでもなく、また宮崎アニメとしての骨格を保ちつつ、異なる側面を持っているという意味でもおもしろい。
個人的には『風の谷のナウシカ』に次ぐくらいの面白さだと思った。