女性の勝利
2005/3/21
1946年,日本,84分
- 監督
- 溝口健二
- 脚本
- 野田高梧
- 新藤兼人
- 撮影
- 生方敏夫
- 音楽
- 浅井挙曄
- 出演
- 田中絹代
- 桑野通子
- 徳大寺伸
- 松本克平
- 高橋豊子
- 三浦光子
- 内村栄子
- 若水絹子
- 紅沢葉子
- 風見章子
女性弁護士の細川ひろ子は戦中に政治犯として捕まった元婚約者の山岡が出所し、病気で入院するのを迎えに行く。しかし、その山岡を投獄したのはひろ子の姉のみち子の夫である検事の河津だった。そのためみち子はひろ子が山岡とよりを戻すことに反対し、河津も自分の非を認めようとしない。それでもひろ子は自分の信念を貫こうとする…
戦後の民主憲法制定にあわせるように、戦前の封建主義への批判と、女性を低く見る因習の暴露をテーマとして撮られた作品。田中絹代などは相変わらず素晴らしいが全体的には、どこか青臭さが漂う。
溝口は巨匠、巨匠といわれるけれど、意外に流行に敏感というか、流行ものに乗って映画を作る傾向がある。よく言えば、常に新しいものを取り入れようとしているということだが、悪く言えばミーハーなのである。この作品はそんな溝口のミーハーさが最もよく表れた作品だといえるだろう。映画が作られたのは1946年、日本国憲法、いわゆる新憲法が公布されたのと同じ年である。映画が公開されたのは4月で公布は11月だが、45年の後半から共産党の新憲法草案や憲法研究会の私案、政府の松本委員会私案などが作られていたから、その内容は人々の話題に上っていただろうし、そこで司法の一元化や女性の地位向上などが叫ばれていたことは衆目にも明らかだったのだと思う。
溝口は、そのような新憲法をめぐる世の中の盛り上がりのようなものを察知して、新時代を先取りするような物語を映画にしたのだと思う。女性弁護士が、旧弊に縛られた男性検事と対決する。それは本当にいかにも、新しい時代を象徴するかのようなテーマである。
だからなのか、どうなのか、この映画はどうも青臭い。今の時代から見ると、田中絹代演じるひろ子の気負いや聖女然とした姿がどうもうそ臭く見えてしまうのだ。何か、この映画全体が新しい憲法、新しい司法、新しい女性について教える教科書であるかのような、新しい時代のことを知らない観客に向けた啓蒙主義的な教えであるかのような印象をどうしても受けてしまう。
だから、それからほぼ60年後の今見るとどうしても鼻白く感じてしまう。この映画はあまりに清廉潔白すぎるし、善悪がはっきりしすぎているのだ。過程に縛られる女性というテーマだけでなく、いつもの溝口のように芸者とか娼妓とかを登場させて、そのような女性と男性社会との関係、彼女たちがいかに男性社会の犠牲になってきたのか、などということを盛り込んで行ったなら、現代にも説得力を持つ物語になっただろうと思うのだが。
これは失敗作とまでは言わないが、かなり時代性に縛られすぎていて、溝口の作品としては、時代を超えて楽しめるという要素が薄いと思う。その当時の観客にはある程度のショックや感心を与えたのだろうが、普遍的な名作とはなりえなかった。それでも、これもひとつの溝口らしさだと思えば、面白く見ることが出来る。