忍ぶ川
2005/4/5
1972年,日本,120分
- 監督
- 熊井啓
- 原作
- 三浦哲郎
- 脚本
- 長谷川慶次
- 熊井啓
- 撮影
- 黒田清巳
- 音楽
- 松村禎三
- 出演
- 栗原小巻
- 加藤剛
- 井川比佐志
- 岩崎加根子
- 信欣三
- 永田靖
- 滝花久子
- 山口果林
- 阿部百合子
大学の寮での卒業生の送別会、その二次会に繰り出した小料理屋“忍ぶ川”で哲郎は志乃に出会う。志乃のことが気になる哲郎はその“忍ぶ川”に通うようになり、盆の休みの一日を使って深川に出かけることになる。そしてそこで哲郎は兄のことを、志乃は生まれた家のことを語り合った…
芥川賞を受賞した三浦哲郎の同名の私小説を熊井啓が映画化。端整で純粋な愛の物語。
なんてことない話と言ってしまえばなんてことのない話だが、この話はこの物語の主人公であり語り手である哲郎とその家族にとっては非常に大きな意味のある物語である。この主人公の哲郎は兄や姉が次々と自殺したり失踪したりして、最後に残された姉も精神を病んで家にこもりきりである。そのような兄弟に共通した性質がいわゆる“隔世遺伝”あるいは“突然変異”というべきものであるということが映画の冒頭にわざわざ語られるのは、この映画の主題がそこにあることを宣言するためだろう。
つまり、この物語は徹底的に哲郎と志乃の恋愛物語であるにもかかわらず、そこで扱われている主題は哲郎の兄弟たちの“病い”なのである。だから、とりあえず恋愛の部分は無視して、この物語で語られていることが哲郎とその家族にどのような意味を持つのかを考えてみよう。
まず、哲郎も、その両親も、そして姉も、哲郎とその兄弟がその運命からのがれることは出来ないと考えていることが重要だ。哲郎も今は正常だが、自分もいつか病気が出て狂ってしまうと恐れ続けている。その恐れは彼の人生に重くのしかかり、彼は結局何も出来ないのだ。しかもそれは彼の生まれの問題であり、彼自身にはどうにも出来ないことなのだ。だから哲郎はただ恐れながら生きて行くしかない。
その哲郎が志乃と出会う。志乃は洲崎の廓街の一角にあった射的屋の娘、今は小料理屋で今で言うホステスのような仕事をしている。この映画が二人が深川へと出かけて行く都電の車中に始まり、いったん二人の出会いにさかのぼってそこから時間の流れどおりに展開されて行くのは、この深川行きが非常に重要な意味を持っているからだ。この深川で志乃は自分の生まれについて語り、自分の育った環境について語る。それは一般的にいえば恥ずべきことである。その恥ずべきことを志乃は隠さず哲郎に語った。哲郎は同じように兄のことについて語りながらすべてを語ることはしなかった。それがこの深川の決定的な意味である。
深川から帰った夜、哲郎は志乃に手紙を認め、兄のことをはじめとして自分の家族のことをすべて志乃に告白する。それは彼にとっては恥ずべきことのすべてである。彼もまた恥ずべきことをすべて語り、深川でそのようにしなかった自分を恥じるというのだ。
これが意味するのは、哲郎とその家族が縛られているのはその“病い”というよりは“恥”の概念であるということである。彼らは兄姉の死をまず“恥”として受け取った。そして世間に対して自分たちを閉ざし、“恥”の中で生きたのだ。
しかし志乃は同じように“恥”を背負いながら、それを哲郎に隠すことはしなかったし、その“恥”に閉じこもることもなかった。だから彼女は哲郎の家族たちが閉じこもる殻に風穴を開けることが出来、彼らはそれで救われた。それはこの映画の終盤で哲郎が両親に「外聞なんて気にすることないさ」と堂々と言ってのける場面にわかりやすいほどに表れているのだ。
だからこの物語は映画になってもあくまでも私小説なのである。しかし、このようない小説が成立するのは、読者あるいは観客も多かれ少なかれそのような“恥”を抱えているという共通の基盤があるからだ。この映画の舞台になっているのは、おそらく昭和30年前後、映画が作られたのは昭和40年代の後半、この時間のギャップを埋めうるほどに日本人に共通の意識がそこに存在しているのだ
今の時代には、今ひとつ通じにくい意識ではあると思うが、“恥”というものは常に誰の意識にも存在するものであり、それにいかに対処するかというのは時代性とは関係のないものであるような気がする。この映画が突きつけるのはそのような“恥”と自分との関係なのではないだろうか。