息子のまなざし
2005/4/18
Le Fils
2002年,ベルギー=フランス,103分
- 監督
- ジャン=ピエール・ダルデンヌ
- リュック・ダルデンヌ
- 脚本
- ジャン=ピエール・ダルデンヌ
- リュック・ダルデンヌ
- 撮影
- アラン・マクリーン
- 出演
- オリヴィエ・グルメ
- モルガン・マリンヌ
- イザベラ・スパール
- ナッシム・ハッサイーニ
- クヴァン・ルロワ
- アネット・クロッセ
職業訓練所で木工を教えるオリヴィエのところに入所希望者が入ってくる。オリヴィエは一杯だから溶接のほうにまわしてくれといったんは言うが、その新入生にただならぬ関心があるようで結局、その少年フランシスを彼のクラスに加えることにする…
『イゴールの約束』のダルデンヌ兄弟が人間の心の深みをじっくりと描き出した佳作。オリヴィエ・グルメは2002年のカンヌ映画祭で主演男優賞を獲得した。
この映画は手持ちカメラの長いシーンで始まる。1シーン1カットというわけではないけれど、手持ちで主人公であるオリヴィエの後を追い続けるという一貫したスタイルがカットとカットの間のつなぎを緊密なものにする。しかもそのほとんどはクロースアップで、観客と被写体(つまりオリヴィエ)との関係性も緊密なものとなり、手持ちカメラ独特の画面のぶれは、オリヴィエの心の動揺として観客の心にダイレクトに伝わってくる。
しかし、オリヴィエはほとんど言葉を発することなく、行動の理由を説明することもないから、観客は容易にオリヴィエに同一化することは出来ない。オリヴィエの心理に寄り添いながら、彼が見ているものや彼の行動からいったい彼が何を感じ何を考えているのかを慮るしかないのだ。その観客の不安定さは、時にはこの映画を退屈なものに感じさせる。オリヴィエの痛いほどのためらいを感じることが出来なければ、この映画はまったくわけがわからない。映画の中盤に、その少年フランシスが、オリヴィエの息子を殺した少年だということが明らかになっても、そこから展開が早まって行くわけでもなく、観客は不安定なままに置いておかれる。
この観客の不安定さは、オリヴィエ自身の不安定さ、いったい自分が何をしたいのかわからないという心理を忠実に反映している。つまり、この作品は観客をどこまでもオリヴィエに寄り添わせ、彼の焦燥感、無力感、ためらい、などなどを感じさせようとするのだ。しかし、それは観客がオリヴィエに同一化するということでは決してない。観客とオリヴィエはその心理を共有するが、その間にはスクリーンという薄い膜がずっと存在し続けている。観客はオリヴィエとしてフランシスに対して様々な気持ちを持つのではなく、オリヴィエのフランシスに対する気持ちに反応して、彼と同じような心持になるのだ。
それはつまり、この映画が人間の心の痛みを伝えようとしている映画だということだ。息子を殺された父親の心の空白、その目から見た殺人犯である少年の身勝手さ、しかしその少年を憎むことが出来ない心持ち、それらがオリヴィエの心にキリキリと突き刺さるその痛みを、観客に感じさせること。それがこの映画の眼目なのではないだろうか。
だから、実のところこの映画がこのようなテーマによって何かを伝えたいとか、少年犯罪を問題化したいとか、少年の罪の償いの可否を問いたいとか、そのようなことは考えていないのではないかと思う。
観客はただただオリヴィエの心の痛みに感じ入り、それを味わえばいいのだ。
そのような感受性を持ち続けながら、映画やあらゆる芸術作品に触れていたいと私は思った。