GERRY ジェリー
2005/4/27
Gerry
2002年,アメリカ,103分
- 監督
- ガス・ヴァン・サント
- 脚本
- ガス・ヴァン・サント
- マット・デイモン
- ケイシー・アフレック
- 撮影
- ハリス・サヴィデス
- 音楽
- アルヴォ・ベルト
- 出演
- マット・デイモン
- ケイシー・アフレック
荒涼とした平原の1本道を進む1台の車、そこに乗っていた2人の若い男は車を降り、砂漠を進み始める。言葉すくなだが、時折親しげに会話を交わし、ふたりはどんどんと砂漠の奥へ、彼らが何を求め、どこに行こうとしているのかは明らかにならないまま、カメラは彼らを追って行く…
ガス・ヴァン・サントがマット・デイモンとケイシー・アフレックとの共同脚本で作り上げた、静謐な作品。よく言えば映像詩、悪く言えばかなり退屈。
この作品はとにかく眠い。私は寝るのも映画だといつも思って入るのだけれど、この作品はさすがに眠すぎる。映画の始まりからして、ただただ荒野の一本道を車が走るというだけの映像。対向車が来ただけでおっと思う。車を降りて歩き始めても、ふたりはなかなか話し始めない。風景も特に魅力的というわけではなく、頭をよぎるのは「ふたりはいったい何をしに来たのか」ということだけだ。
その疑問はふたりがお互いを“ジェリー”と呼び、失敗するというような意味のことを「ジェリる」というのを聞いて、さらに強まる。しかし、その目的はいつまでたっても明らかにならない。彼らは「何か面白いものが見つかったら」というようなことを言うだけだ。この映画の物語を要約すると、そういうことになる。ふたりの若い男が砂漠をぶらぶらと歩き、何か面白いものを探しているらしい。そして道に迷う(多分道に迷っているのだと思うが、彼らの行動から迷っているという焦りは感じられない)。
ただこれだけの物語、もちろん観客は何かを考えることは出来る。しかし、その“何か”が何なのかはほぼ完全に観客にゆだねられてしまっている。ふたりの距離感から“何か”を感じ取ることは出来るが、それがちゃんとした思考となって頭の中で像を結ぶにはこの物語はあまりに漠然としすぎているからだ。
それよりは、映像の美しさと不思議さに目を奪われるということのほうがありえることだ。広大な空間にポツリと存在するふたりの人間、それを自然の広大さ、人間の卑小さと書いてしまうと陳腐になってしまうが、少なくとも自然というものが人間の力の及ばないものであるというメッセージは伝わってくる気がする。自然に出来とたとは思えない、しかし人間の想像力も及ばないような不思議な風景も垣間見え、そこには何か不思議な魅力がある。
しかし、やはりこの映画は退屈すぎる。私は観客に何かを考えさせようとする映画というのは好きだが、この映画は考えさせようとするというよりは「考えれば」と突き放しているように見える。それは「俺の考えについてこれるか」という傲慢さと「俺の頭の中はすげーだろう」というナルシシズムと隣り合わせのひとりよがり(3人よがりかも知れないが)表現でしかない気がする。