さよなら子供たち
2005/4/30
Au Revoir les Enfants
1987年,フランス,103分
- 監督
- ルイ・マル
- 脚本
- ルイ・マル
- 撮影
- レナート・ベルタ
- 出演
- ガスパール・マネス
- ラファエル・フェジト
- フランシーヌ・ラセット
- フランソワ・ベルレアン
- イレーヌ・ジャコブ
ナチス占領下のフランス、寄宿舎に入ることになり、母親の元を離れることになった少年ジュリアン・カンタン。ジュリアンは学校で疎外感を感じるが、ジャン・ボネという少年に話しかけられ、ふたりは互いを気にするようになる。しかし、ジュリアンはある日ボネがユダヤ人であることを知り、複雑な感情を抱えるようになってしまう…
ルイ・マルが自身の子供時代を題材に自伝的に描いた少年もの。ナチスとユダヤということで反戦的なメッセージが注目されるが、それよりも少年の心理の機微を描いた繊細さが素晴らしい。
戦争から数十年がたって、ナチスのユダヤ迫害を批判した映画がたくさん生まれた。その中でももっとも有名なのはおそらく『シンドラーのリスト』だろう。『シンドラーのリスト』は自分自身ユダヤ人であるスピルバーグが思い入れを込めて作った作品だった。長大なドキュメンタリーである『SHOAH』もユダヤ人自身による記憶の更新という意味を持っていた。
しかし、この作品を作ったルイ・マルはユダヤ人ではない。彼は戦争中にほんの1年足らずをともに過ごした(と、この作品からは取れる)友人の思い出を新たかなものにするためにこの作品を作った(と私には思えた)。そのとき、ユダヤ人の苦難というテーマは後退し、より巨視的に、ユダヤ人たるものの意味、差別ということの意味、ナチスとユダヤとフランス人の関係などというものが浮き彫りになって行く。
もちろん、ユダヤ人自身による告発/表現は重要であるが、それは一方的な意味化になってしまう恐れを常に孕んでいる。そのような中で、この作品のように別の立場からの視線というのは非常に大きな意味があるのだと思う。
そのような意味で、この映画でもっとも優れたシーンのひとつであると思うのは、カンタンの母が面会日にやってきて、ジュリアンと兄のフランソワとボネを連れて出かけたレストランのシーンである。そこにはドイツ軍も食事に来ているのだが、そこにフランスの義勇軍がやってきて、一人の紳士がユダヤ人であることを突き止めて、彼を追い出そうとする。それに対してレストランにやってきていたフランス人たちは様々な反応をする。その反応の多用が非常にフランス的だと思うし、問題の複雑ををもかたっていると思う。フランス人の中にも心の底からユダヤ人を追い出すことが愛国的な行為だと考えている人もいるし、ユダヤ人を自分たちの仲間だと考えている人もいる。戦後にはユダヤ人を救うことばかりが美談として扱われ、それが出来なかった人は臆病だっただけだというような論理がまかり通ったわけだが、問題はそれほど単純ではなかったはずだ。このシーンはこの映画がそのような複雑な問題を複雑なまま提示しているということを端的にあらわしている。
この複雑さは戦争を一元的に意味化することを避ける。複層的な意味化によって観客に考えさせる。
そのように曖昧とも見える表現になったのは、これがそのようなメッセージ性を持った映画である以前に、少年時代という曖昧な時代を描いた映画であるからだ。この映画のタイトルの「さよなら子供たち」は映画の終わりのほうに具体的に登場するセリフであるが、同時にジュリアンやボネが子供時代に別れを告げる年齢にいることも意味している。「子供たち」である自分たちに別れを告げるという意味でもあるのだ。
そして、その微妙な時代に戦争が暗く思い影として垂れ込める。そこで出会ったふたりが抱える感情の機微。それが同性愛的なものというつもりはないが、思春期に差し掛かった少年が同性に抱えるある種の恋情というのはどこか同性愛的な匂いを伴うことも確かだ。そんな中でジュリアンはその相手が“ユダヤ人”であるということでより複雑な感情を抱えることになる。それまではユダヤ人を差別するということを考えてみもしなかったのに、突然それが現実的で火急の問題になる。そしてもやもやとして感情は時に暴力的な態度に、そして時に恋人に向けるかのような親しげな視線に表れる。そのあたりの感情の微妙な表現がこの作品は秀逸である。
ジュリアンの感情の機微が画面にあふれ出し、映画の終盤には言葉にならない感動が観る者の心に満ちる。それは、暴力を直接的に告白するよりもグッと心に突き刺さる“コトバ”である。