スリング・ブレイド
2005/5/2
Sling Blade
1996年,アメリカ,134分
- 監督
- ビリー・ボブ・ソーントン
- 脚本
- ビリー・ボブ・ソーントン
- 撮影
- バリー・マーコウィッツ
- 出演
- ビリー・ボブ・ソーントン
- ルーカス・ブラック
- ナタリー・キャナディ
- ドワイト・ヨアカム
- ジョン・リッター
- J・T・ウォルシュ
- ロバート・デュヴァル
精神病院からの退院が決まった日、カールは学生新聞の取材を受け、自分が犯した殺人事件について語る。カールは25年を過ごした病院から追い出されることに戸惑いを覚えながら生まれ故郷の町へと帰って行く。その町で行く当てもない彼はコイン・ランドリーの前で大量の洗濯物を運ぶ少年フランクと知り合い、友達になるが…
俳優で脚本も書くビリー・ボブ・ソーントンが自ら監督・脚本・主演で制作した渾身の力作。いつものビリー・ボブとはまったく違う演技や表情と心にしみる物語が素晴らしい。
子供の頃、自分の友達と母親を殺したカールが25年後に病院を退院して、生まれ故郷に戻る。そこは生まれ故郷ではあるが、彼にとってはもはや異郷の地でしかない。父親は彼とは会いたがらないだろうし、カールも父親に会いたいとは思わない。唯一の救いといえるのは、時間の経過が彼の犯した殺人の記憶を薄めてくれていることだ。誰も彼が25年前に犯した殺人を理由に彼を責めたり、彼を恐れたりしない。これはリアリティという観点からは不自然さも感じるのだが、今のカールにはそういう感情を相手に与えない落ち着きとやさしさがあるのだろう。
そんな中、ただ一人カールを恐れるのがドイルである。カールが友達になった少年フランクの母親リンダの恋人であるドイルはリンダの家に入り浸っているのだが、彼はともかく虚勢を張り、相手を威嚇する。それは、明らかに彼の恐怖心の裏返しである。アメリカの田舎者(とヴォーンはドイルを評する)に典型的な恐怖心の塊。ドイルはカールのみならずほんの子供に過ぎないフランクまでも怖がっている。リンダが彼とはなれられないのは、彼女の優しさが彼のその恐怖心にひきつけられるからではないか。それを母性本能と呼んでもいいだろうし、女の情と呼んでもいいのだが、ドイルが怖がりで臆病であるから彼を手放すことが出来ないのだ。
しかし、カールにはそのことが理解できない。カールは非常に理知的な人間である。彼が機械の修理が得意だというのは、機械という物が徹底的に論理的に出来上がっているからだ。機械が故障するということは、その論理的に組み立てられた構造のどこかに問題があるということであり、それはつまり論理を一つ一つたどっていけば、故障の原因は必ず突き止めることが出来るのである。そのように物事を理知的に考えるカールには、理由のない恐怖などというものは理解できないのだ。フランクがドイルを恐れるのはわかる。それはドイルが暴力を振るうからだ。しかしドイルがカールやフランクを恐れる理由はわからない。なぜならカールやフランクはドイルに危害を及ぼそうとしているわけではないからだ。そのように理解できない存在であるドイルをカールは自分の思考から排除する。そして、ドイルを排除した上でフランクやリンダという自分にとって大切な人々のことを考えたときにドイルの存在が邪魔になるのだ。カールの論理からしてみれば、ドイルというのはフランクとリンダの家族という構造にとっての“故障”のようなものであり、それを取り除くことによって家族が“直る”のである。
だから、彼がドイルを殺そうとするというのは必然的に予想できる結末である。果たしてその通りにことが進むかどうか、いつドイルを殺そうとするのか、あるいは殺さずに追い出す方法を思いつくのか、というありえる様々な結末がこの映画の緊張感を保ち、観客を映画にひきつけておくわけだが、とにかくそのようにしてカールはドイルを排除しようとするのだ。
カールが理知的な人間であることは、彼が聖書について何度も「わかるところもあれば、わからないところもある」ということからもわかる。彼は聖書の言っていることは理解できるが、そのすべてが論理的にすっきりとしているわけではないから「わからないところもある」わけだ。
おそらく彼は聖書を通して論理的には矛盾だらけの人間というモノをある程度は理解したのだろうが、それでも聖書にわからないところがあるように人間についてもわからないところがあった。だから彼にはリンダとドイルの関係が理解できず、それは母親とディックの関係が理解できなかったのと同じことなのだ。
彼はいつまでも人間というものが理解できず、それはとても切なく悲しい。彼はどんなに人を好きになっても、本当にその人を理解することは出来ないのだ。本当は誰も人のことなど理解できないこと、人間というもののことなど理解できないのだが、私たちは「理解できない」ということを知っている。しかし、カールはその「理解できない」ということが理解できない。だから彼はいつも自分の心の中という広大な場所にたった一人でいなければならないのだ。