ヴァキューミング
2005/5/8
Vacuuming Completely Nude in Paradise
2001年,イギリス,75分
- 監督
- ダニー・ボイル
- 脚本
- ジム・カートライト
- 撮影
- アンソニー・ドッド・マントル
- 音楽
- ジョン・マーフィ
- 出演
- ティモシー・スポール
- マイケル・ベグリー
- ケティ・キャヴァノー
ストリップ電報で生活費を稼ぐ恋人のシーラに音楽係としてついてきたミキサー志望のピートはその届け先の掃除機のセールスマンのパーティの雰囲気に感化され、恋人を養うためにセールスマンになることを決める。翌日、研修生としてつくことになったトミーは車で寝起きするほどの猛烈なセールスマン、ピートはその勢いに圧倒され続けるが…
ハリウッドに進出し、売れっ子となったダニー・ボイルがイギリスに戻って作ったらしい小品。やはりダニー・ボイルはこういうわけのわからない作品のほうが面白い。
ダニー・ボイルといえば『トレインスポッティング』。この印象がいつまでもぬぐえないから、ハリウッドに招かれて『28日後…』なんて作品を撮っても今ひとつぴんとこない。しかし、この作品は違う。この作品のわけのわからなさはまさしく『トレインスポッティング』のダニー・ボイル。わけのわからなさはある意味ではパワーアップしているかもしれない。
それは何と言ってもティモシー・スポールに切れ具合にある。車で寝泊りし、掃除機を売ることだけを生きがいに、たまに家に帰っても着替えをして売り物の掃除機を補充するだけ。朝から酒をあおり、もうスピードで車を走らせ、脅すようにして掃除機を売る。目の玉がこぼれそうなほどに見開いた目とワイシャツのカラーにかぶさるあごの肉のたるみ、汗ばんでしっとりとした前髪、そのどれもが圧倒的におかしい。
普通の映画ならこのモーレツな悪徳セールスマンとそれに疑問を持つピートの価値観の対立のようなものが描かれ、このトミー・ラグの良心の呵責などが描かれるのだろうが、この作品にそのようなことは起こらない。それでこそダニー・ボイルであり、それでこそイギリスのパンクなのである。トミー・ラグは確かにモーレツで売るためにはなんでもするが、彼はそれに命をかけているのである。金儲けのために口八丁手八丁で相手をだましているのではない、文字通り命をすり減らして掃除機を売っているのである。一人の人間が命がけでやっていることには誰も文句は言えない。だから彼は良心の呵責など感じる必要はないし、彼はピートに自分の価値観を押し付けることもしない。ピートはだますようにして初セールスに成功したが、彼は良心の呵責に苛まれる。それは彼にとってセールスは金儲けの手段に過ぎないからだ。そんなピートをトミーは責めない。
トミーは実はセールスはピートが命を懸けるべきものではないことを知っている。だから本当に彼がセールスの邪魔をしさえしなければいいのだ。そんなトミー・ラグの命がけの勢いのわけのわからなさがこの映画のほとんど全てを支えていると言ってもいい。一応主人公のような体裁をとっているピートの方は映画全体を捉えるならば添え物に過ぎないのだ。
そして、撮影方法も斬新と言うか一風変わっている。全編を通して8ミリ風かデジタルビデオ風の映像、時にカメラは掃除機などに固定されてトミーやピートの表情を捉えたりもする。これらが実現しているのは徹底的な安っぽさであり、インディーズっぽさである。これはダニー・ボイルのインディペンデントな精神を忘れていないということのモーションなのだろうか。
確かに作品と映像はマッチしているような気もするが、少し見にくい。特に暗いシーンやロングショットのシーンでは画素が荒すぎて何が起こっているのかよく見えない。そのあたりは少し作品のスピード感を邪魔しているような気もするし、スピード感と言う意味ではこれだけ短い映画なのに冗長とも言えるカットが時々あるのも気になった。
いい意味でも悪い意味でも、インディーズっぽさが発揮されている作品だ。