セクレタリー
2005/5/12
Secretary
2002年,アメリカ,111分
- 監督
- スティーヴン・シャインバーグ
- 原作
- メアリー・ゲイツキル
- 脚本
- エリン・クレシダ・ウィルソン
- スティーヴン・シャインバーグ
- 撮影
- スティーヴン・ファイアーバーグ
- 音楽
- アンジェロ・バダラメンティ
- 出演
- ジェームズ・スペイダー
- マギー・ギレンホール
- ジェレミー・デイヴィス
- レスリー・アン・ウォーレン
- スティーヴン・マクハティ
妙な手錠をはめて秘書仕事をこなすリー、さかのぼること6ヶ月前、彼女は自傷癖が理由で入院していた精神病院を退院し、得意のタイピング技術を生かそうと弁護士事務所の秘書の募集に応募する。ボスの内気な弁護士グレイはある日リーのタイプミスを指摘し、リーに理不尽な要求をし始める…
倒錯的な世界を舞台にした一風変わったラブ・ストーリー、監督はこれが長編第2作となるスティーヴン・シャインバーグ。サンダンス映画祭で特別審査員賞を受賞した。
これは結局なんの映画なのかといえばおそらく“純愛映画”ということになるだろう。弁護士とその秘書の間のSM関係というと非常に倒錯的に聞こえるが、彼らはそのような性癖を持っているにもかかわらず(あるいは持っているからこそ)内気で、自分を表現するのが下手なのだ。互いに相手のことを好きなのがわかっていながら、それを相手に伝えることが出来ないというまったくわかりやすい純愛映画だ。ただ、その相手を好きな理由のひとつ(というかほとんどすべて)が性癖があうということだというだけの話だ。
だから、この映画をよくあるエロティック系の映画だと思ってみると拍子抜けする。映画の説明自体は意外とまともな説明がなされていることが多いが、映画のチラシにしろ、DVDのパッケージにしろ、消費者に訴えるイメージとしてはそのようなエロ路線が採用されている。私はこれは宣伝方針としては失敗だったのではないかと思う。サンダンスで賞を採り、インディペンデント・アワードにもノミネートされたくらいだから、ミニ・シアター系/アート系の映画として売ったほうがこの映画にあった観客にまともに訴えることが出来たのではないかと思う。映画の宣伝はたまにエロ路線に訴えれば売れると安直に考えて(たとえばメグ・ライアンのヌードを売りにした『イン・ザ・カット』)大失敗することがある。
まあ、映画の宣伝のことなどどうでもいいわけで、作品としてはなかなか面白い。自傷行為とSMを結びつけ、それがひとつのサスペンスとして働く。主な登場人物たちは、主人公ふたりだけでなく、リーの恋人のピーターもリーの母親もみなどこか心を病んだ雰囲気を持っていて、ぱっぱらぱーの登場人物ばかりが登場するハリウッド映画よりははるかに好感が持てる。
そして、その病んだ部分を掘り下げることはせず、その病のようなものを自分の一部として抱えながらよりよく生きる道を探すという姿勢を貫いている点にも好感が持てる。私は人間誰しもどこかまともじゃない部分を持っていると思う。自分はそんなことはないと思っているような人は、生きやすいだろうとは思うが、どうも他者への想像力を欠いた人間になりがちなのではないかと思ってしまう。そのような人はそのまま社会に受け入れられてしまうがゆえに自分に疑問を持つことがなく、だから他人の痛みがわからない。そのような人にはこの映画はただ退屈なだけ、それこそエロ路線を期待したのに拍子抜けしただけの作品ということになるのだろう。
自分が病を抱えていることを意識し、それが社会に受け入れられないことを認識している男女が出会い、互いの存在によってその病を抱えたまま生きて行くことが出来るようになる。そのようなふたりの出会いが愛でなくてなんであろうか。この映画を見ると“愛”の根源的な意味というのがそもそもそのようなものなのではないかという感覚にすら襲われる。