ゼイリブ
2005/5/28
They Live
1988年,アメリカ,96分
- 監督
- ジョン・カーペンター
- 原作
- レイ・ネルソン
- 脚本
- フランク・アーミテイジ
- 撮影
- ゲイリー・B・キッブ
- 音楽
- ジョン・カーペンター
- アラン・ハワース
- 出演
- ロディ・パイパー
- メグ・フォスター
- キース・デヴィッド
- ジョージ・“バック”・フラワー
- ピーター・ジェイソン
日雇い仕事をしながらさすらう男ネイダはある建築現場で仕事を見つけ、その同僚にドヤ街を紹介され、そこに落ち着く。しかしその頃テレビに海賊放送が入り込むようになり、ネイダはその発信源がドヤ街の向かいにある教会だと突き止める。しかしその夜、警察が大挙して押しかけ、その教会を取り囲んだ。
いかにもジョン・カーペンターらしいB級SFアクション。主役のネイダを演じたロディ・パイパーはWWFの人気レスラーで80年代の終わりからかなりの数の映画に出演している(ほとんどが未公開)。
この映画は掛け値なしに面白いと私は思う。設定としては人々の知らない間に宇宙人が地球に入り込んでいて、われわれを支配しているという話で、この設定自体はそれほど珍しいものではない。ジョン・カーペンターといえば、そのSF的発想の斬新さが思い浮かぶが、この作品はそういう意味では斬新なものとは言えないわけだ。
しかし、ジョン・カーペンターがすごいのは、そのように地球に入り込んだ宇宙人を完全にただの“敵”と見てしまうということだ。彼らは人間ではないから殺していいし、とっとと追放しなくてはならない。主人公はあっという間にそんな単純な行動原理に支配されて、突き進む。その単純さがジョン・カーペンターの面白いところだ。
主役を演じるのが現役のプロレスラーであるロディ・パイパーであるというのも、その単純さをさらに強め、単純なSFアクションとして楽しめるように仕掛けられている。映画の中盤でこのロディ・パイパーとキース・デヴィッドが延々と繰り広げる本格的プロレスごっこじみたアクションシーンがある。このシーンはとにかく長く、何度も「もう終わるか」と思わせておいて観客の予想をことごとくはずして行くために、賛否両論なのだが、私はこのシーンはすごく面白いと思う。このシーンの長さはこの映画の中でもっともユニークな部分であると思うし、微妙に変化する心理も見事に描かれているとも思う。そしてもちろん、「サングラスをかけろー!」「いやだー!」というだけで殴り合いをする大人気ないふたりの巨漢は見ているだけでおかしい。
と、B級SFアクションとして楽しめるのはいつものジョン・カーペンターらしい部分だが、同時にそこに辛辣なメッセージがこめられているというのもいつものジョン・カーペンターらしさだ。
この作品は、ジョン・カーペンターの作品の中でも社会に対する批判精神がストレートに出ている作品だと思う。宇宙人が社会を支配し、様々な手段によって持たざるを者を支配しているという構図を使うことで、現代社会のからくりを白日の下にさらす。資本主義社会(浪費社会)というものがどのようにして機能しているのか、搾取者と被搾取者という構造はどのようにして作られているのか、そのような問題意識を明確にし、描き出す。
もちろん、テレビや広告にサブリミナルなメッセージが隠されているというのは現実ではないが、テレビや広告自体が人々が考えることを阻害しているということは事実だ。そして、多々漫然とそれらを見ているだけではそのことに気づかないという意味ではそれらはサブリミナルな効果であるともいえなくもない。
もちろん、そのような問題提起はジョン・カーペンターにユニークなものではなく、様々な人が言って入ることだが、サブリミナルに考えないように教育されてしまっているわれわれはそのことを深く考えずに済ませてしまう。しかし、ジョン・カーペンターはそのような批判的な問題意識をB級SFアクション映画に(ある意味ではサブリミナルに)こめることで、そのような権力に対抗しているのかもしれないのだ。
ただ、そのような意味ではこの作品はその意識があまりに明らかになりすぎていてあまり効果はないといえるのかもしれない。しかし、もしかしたらカーペンターは自分がそのような意識を持っているということを明らかにしたかったのかもしれない。それまではひそかに映画に込めていたものを明確な形で提示しなければならないほどアメリカという社会が危機的な状況にあると認識していたのか知れないとも思う。そして、カーペンターの願いも虚しくアメリカはどんどん悪い方向に向かい続けているのかもしれない。