東京原発
2005/6/10
2002年,日本,110分
- 監督
- 山川元
- 脚本
- 山川元
- 撮影
- 北澤弘之
- 音楽
- 崎谷健次郎
- 出演
- 役所広司
- 段田安則
- 平田満
- 田山涼成
- 吉田日出子
- 菅原大吉
- 岸部一徳
- 益岡徹
- 徳井優
- 塩見三省
都知事に突然招集された副知事と都の各局長、都知事はその会議の席上で東京に原発を誘致する計画を発表する。その突拍子もない考えに局長たちは混乱し、多くは反対するが、都知事の論法に徐々に説き伏せられ、反対意見が出なくなっていく。折りしもその時、再処理を終えフランスから運ばれてきたプルトニウムが陸揚げされようとしていた。
原発という問題をユーモアに包んで提示する社会派コメディドラマ。他愛もないといえば他愛もないが、原発というものを問題化するという意味では面白いかもしれない。
これはひとつのたとえ話というか、「もしも…」という話である。「もしも東京に原発を作ったら…」何かそれはひどくまずいような気がするが、何故まずいのか、ということを突き詰めて考えたことがある人はほとんどいないだろう。なんとなく反対したい気持ちだけれど、どうして反対なのかといわれるとなかなか説明しがたいそのような漠然とした心持がするのではないか。
この映画はそのような当たり前の人々の当たり前の気持ちを突いてくる。役所広司演じる都知事の論理をいかに反駁して行くか、これがこの映画を見る観客の典型的な姿勢であるのだとおもう。
確かに言っていることには一理あるのだ。なぜ原発が安全なら、もっとも電気を消費している東京に作らないのか。わざわざ遠く離れた土地に作るというのはそれが安全ではないことの証拠になるのではないか。そのように誰もが思ってしまう。それは原発というものを漠然と怖いものだと思っているからだ。その漠然とした気持ちが原発を遠ざけ、見えなくしてしまう。見えなくなれば不安も解消してしまうからだ。しかし、本当にそれでいいのか、その問こそがこの映画が問うている問である。
だから、映画の前半の都知事と局長たちが議論する部分は非常に面白い。局長たちは基本的に無知で、彼らは観客たちの無知を代理する役割を負っている。観客は彼らとともに原発のことについて学び、その是非について考える。
そしてさらに進んで、そのようにわれわれが考えるもとになる情報とはいったいどのような質のものなのかということも問われる。原子力に関してわれわれが知る情報とは本当に公正なものなのか。物事というのは常に複数の見方があり、その見方によって見え方は大きく異なってくる。そう考えると、われわれに与えられる原子力に対する視線とは非常に抑圧されたもののような気がしてしまう。そこまでがこの作品の狙いであり、その意味では非常に示唆的で面白いと思う。
しかし、そのような考察を促す前半の話の組み立てが面白いだけに、平行して展開され、後半には物語の中心になって行くテロまがいのプロットが余計ではないかという気がしてくる。最後まで見ても、果たしてこのプロットは必要だったのかという思いが頭をもたげるだけだ。こういうスペクタクルを盛り込まないと客が呼べないと思ったのか、もうひとつ時代性を書き込もうとしたのかはわからないが、本当にどうでもいいエピソードだと私には思えた。
それならばもっと、東京原発を巡る様々な思惑を絡ませて人間関係を複雑にし、それこそ利権に絡む財界の大物なんかも登場させたほうが面白かったのではないかと思う。原発が安全だと主張する側の言い分も聞いてみたいし。