シザーハンズ
2005/7/8
Edward Scissorhands
1990年,アメリカ,98分
- 監督
- ティム・バートン
- 原案
- ティム・バートン
- キャロライン・トンプソン
- 脚本
- キャロライン・トンプソン
- 撮影
- ステファン・チャプスキー
- 音楽
- ダニー・エルフマン
- 出演
- ジョニー・デップ
- ウィノナ・ライダー
- ダイアン・ウィースト
- アンソニー・マイケル・ホール
- キャシー・ベイカー
- アラン・アーキン
とある町の外れにある古ぼけた城、さっぱり商品が売れない化粧品販売員のペグは今まで行ったことのないその城に行ってみることにした。幽霊屋敷のようなその城でペグは手がはさみになっている青年エドワードに出会う。気の毒に思ったペグは彼を家に連れて行き、家族のように接し、エドワードは街の人気者になるのだが…
ティム・バートンがジョニー・デップとウィノナ・ライダーという若いスターを使って撮ったファンタジーの名作。ジョニー・デップはこの作品が出世作となった。
映画というのは本当に不思議なものだと思う。この作品は映画に目覚めた作品のひとつで、今も強烈な印象が残っている。それはたぶん高校生の頃だったが、テレビで放映されたこの作品をビデオにとって深夜にひとりで観ていたのだと思う。重ね撮りしたビデオテープが少し痛んでいて、パステルカラーの町並みが毒々しい色の町並みに変わっていた。その町並みの色が今も脳裏に焼きついているが、それがビデオテープが痛んでいる性だったということにはその頃から気づいていたはずだ。しかし、とにかく、その町の色合いといろいろな形に刈り込まれた植え込みと、ジョニー・デップの顔とウィノナ・ライダーの顔ばかりが印象に残っていた。
しかし、よく考えてみるとどんな話だったのかちっともよく覚えていない。今回もまずオープニングの映像にまったく記憶がなく、その後のストーリーもよく考えるとまったくと言っていいほど覚えていなかった。私は基本的に映画は物語で記憶していることが多いのに、これだけ印象に残った映画のストーリーをまったく覚えていないということに自分で驚いた。その後も何回か見ているはずなのに。
ということは、それだけこの作品は映像の印象が強いということなわけで、確かに今回見ても映像の印象は強烈だ。町並みのパステルカラーも、その町が切れたところから突然廃墟のような城になるというコントラストも、ジョニー・デップの顔も、とても印象に残る。そして、この映像が作り出すイメージは時代性(50年代か60年代)と場所の不詳性(アメリカのどこか)だろう。この町は明らかに周囲とは隔絶していて、エドワードがTVショーに出るシーン以外まったく外部の世界との交流がない。そのTVというのもブラウン管を通した交流に過ぎず、そこにはリアリティが欠けている。
もちろんこれはファンタジーだから、そもそもリアリティは薄いのだが、それでもこの作品をひとつの世界とすれば、そこにはリアリティがある。そして、そのリアリティとはこの町なのである。だからペグがエドワードを待ちに迎え入れることでエドワードはすんなりとリアルな世界に入り込むことが出来る。
もちろんこれは『フランケンシュタイン』と『白痴』を組み合わせたファンタジーのキャラクターのバリエーションを中心とした空想物語である。これを現実であると考えるのは寝る前にベッドでおばあさんに話を聴く子供にも無理な話だ。しかし、これは夢物語であるゆえに、そして白痴的なキャラクターが物語の中心にいるがゆえに、人間というものを抽象的(あるいは象徴的)に描くことが出来るという面もある
そこで描かれる人間というのはカルカチュアライズされているという印象もあるが、人間の本質的なエゴイズムや醜さというものを端的にあらわした存在でもある。基本的にエドワードを迎える家族と、その近所の人々が対照的に描かれるという構図を取られてはいるのだが、実際はそんなに単純ではない。近所の人たちは単純だが、ペグとその家族はそれぞれ実は複雑な心情を抱えているのではないかと思う。
その複雑さが生むエドワードとの関係性がこの作品にいい余韻を残し、ただの子供向けのファンタジーであるところから脱却している。単純な勧善懲悪の物語ではないドラマ、そこからは人間というものが浮き彫りにされるのだ。