喜びも悲しみも幾歳月
2005/7/10
1957年,日本,146分
- 監督
- 木下恵介
- 原作
- 木下恵介
- 脚色
- 木下恵介
- 撮影
- 楠田浩之
- 音楽
- 木下忠司
- 出演
- 佐田啓二
- 高峰秀子
- 有沢正子
- 中村加津雄
- 桂木洋子
- 田村高広
- 仲谷昇
- 夏川静江
昭和7年、観音崎燈台に勤める有沢四郎は嫁さんを連れて勤務地に帰ってくる。その妻のきよ子は灯台の生活にすぐなじむが、まもなく有沢は石狩灯台に転任になる。冬は雪に閉ざされる厳しい生活の中できよ子は長女雪野を産みさらに長男の光太郎を産むが、燈台員の奥さんのひとりが亡くなるという事件も起こる。まもなく有沢家の4人は九州の女島に転任になるが…
各地を点々とする燈台員として太平洋戦争期を生きた夫婦の反省を描いたいわゆるハンカチもの。木下監督らしくストレートに夫婦愛を描いた。
高峰秀子はこの作品で基本的には朗らかなキャラクターを演じている。燈台員という厳しい生活の中、しかも戦争という事態に直面しても朗らかさを失わないことで夫と子供たちを救い、その他の人たちにも安心感を与える存在、そんな存在として現れてくる。
そのようなキャラクターであるきよ子が「こんな戦争早く終わればいいのに」と言ったとしても、誰もそれをとがめはしない。これが反戦映画だとしたら、そういった些細な発言を聞きとがめられ、きよ子にはさらに悲惨な運命が降りかかり、という話になるわけだが、この映画はそのような展開は選択せず、それはつまりこの映画が特に“反戦”をテーマに掲げていないことを表明する。
そして、そのことはこの映画が夫婦愛を描いたメロドラマに過ぎないことただ意味するわけではなく、作品のリアリティを高めもするのだ。木下恵介は『日本の悲劇』などといった反戦的な作品も撮っているから、この映画を反戦映画にしようと思えば出来たわけだが、反戦映画というのはそのテーマ性にひきずられてリアリティを失いがちなことも確かだ。木下恵介は反戦作家である以前にリアリストであり、リアリティにあふれる映画を撮りたかったのだと思う。そして、この映画のきよ子のこの発言には戦争中の状況のリアリティがあふれているように思える。
確かに憲兵もいて、近所に密告者もいて、ぴりぴりとした空気も流れていたのだろうが、実際の人々の生活というのは個人と個人との信頼の上に成り立ちつづけ、自分が信頼している人ならば、その人が反戦的な発言をしたとて密告などしなかったはずだ。都会ではそれほど単純に行かなかったかもしれないが。
その部分をはじめとして、この作品はいわゆるハンカチものでありながら、徹底的にリアリズムの映画でもある。それは現実に沿っているということではなく、非常に「現実らしい」ということで、現実に肉薄しているように思えるということだが、そのことによってぐっと映画の世界に引き込まれ、2時間半という長い上映時間にも飽きることはない。
たとえば、燈台員が各地を点々とすることで環境が変化し、夫婦間にも様々な問題が持ち上がるという物語の軸となる展開にもリアリティがある。そしてその土地土地で出会う事件もまたリアルなのだ。出征といえばみなで汽車を見送るのが一般的だが、港町ではそれが船になるという当然のことに気づかされたりもする。辺鄙な土地にいる人たちがどのように戦争を受け入れそれに対処したのかとかいうこともそうだ。
そして、そのことによってこの映画は昭和日本の大衆史という様相を呈する。昭和のはじめから戦後まで、その部分を描いた歴史は数多くあり、映画も多くある。しかしそのほとんどは中心からの視点を持っている。登場するのは東京などの大都会、歴史に残るようなトピックを間近で体験するような生活を描いたものである。時には疎開し、田舎で生活をするが、そこで描かれる田舎とは中央と対比されるものとしての抽象化された田舎に過ぎない。都市で起きる「歴史的な」出来事と、それと対比される田舎の存在、「歴史」として記述されるものはそのようにして単純化されたものに過ぎない。それは昭和という時間そのものではなく、抽象化され、記号化されたその時代のイメージに過ぎないのだ。そのような歴史は文字でも記述されるし、映像にもなるから、再生産され続けて後々まで残り、いつかイメージが現実を反映している考えられるようになってしまう。しかしもちろん、そのイメージからこぼれ落ちてしまうもののほうが多いわけで、それを集め記録しておくことも必要なことなのだ。
この映画は都会でも抽象化された田舎でもない、地方の具体的な場所を舞台とすることで、その「歴史」からこぼれ落ちるものを見事に掬い取った。映画を作った時点でそのような発想があったかどうかはわからないが、ともかくも時間の経過とともに忘れ去られようとする事柄をフィルムに刻み付けることによって、われわれが思い出すことを可能にしているのである。