ショーシャンクの空に
2005/7/11
The Shawshank Redemption
1994年,アメリカ,143分
- 監督
- フランク・ダラボン
- 原作
- スティーヴン・キング
- 脚本
- フランク・ダラボン
- 撮影
- ロジャー・ディーキンス
- 音楽
- トーマス・ニューマン
- 出演
- ティム・ロビンス
- モーガン・フリーマン
- ウィリアム・サドラー
- ボブ・ガントン
- ジェームズ・ホイットモア
若くして銀行の副頭取となったアンディは自分では身に覚えのない妻とその愛人を殺したかどでショーシャンク刑務所に収監される。そこは予想通りの厳しい世界、しかしアンディは調達屋のレッドらと仲良くし、さらに会計の能力を発揮して刑務官に重宝され、それなりの生活を送っていた…
スティーヴン・キングの中篇「刑務所のリタ・ヘイワース」をフランク・ダラボン監督で映画化。シナリオといい、出演者といい、珠玉のミステリードラマに仕上がっている。
この作品はすごく面白いし、私も大好きな作品だが、あえて言えばこの作品はすごく“ずるい”作品だ。
この作品の基本的な構造は冤罪で刑務所に入れられた主人公が強い意志でその苦境に負けずに、希望を捨てずに生き続けるという話だ。そこではこの物語の主人公たるアンディは完全なる“善”であり、彼を刑務所に押し込んだ権力も、彼を隠れ蓑に使って私服を肥やす刑務所長も誰も彼も完全なる“悪”なのである。彼らに理不尽な暴力を振るう刑務官は完全なる“悪”としては描かれていないが、基本的に善意などというものは持ち合わせていない存在である。
この善と悪の対立は物語を非常に単純でわかりやすいものとし、観客である私たちをアンディの視線に容易に導いて行く。その単純化は“善”の側にも言えることで、40年代、50年代という時代の刑務所が、この映画で描かれているような人種差別などのない平和な場所だったという設定は用意には信じがたいが、そのような時代の意識を観客が覚える前に(つまり現代の感覚をもったままで)映画の世界に引き込まれてしまうために、そこに違和感を感じることはあまりない。 そして、そのように単純化された善悪の対立、完全なる善と完全なる悪などというものも、あまりに単純すぎるし、そんなものはありえないはずだ。しかし、この作品ではその舞台を刑務所としてしまうことで、それを可能にする。囚人と看守の関係は映画『es[エス]』の例を見るまでもなく、簡単に暴力を容認し、虐待や隷属、果ては命を奪うことまでも簡単にやってしまうようになる関係になってしまう。その関係の中の囚人の側に“善”を持ち込めば、看守の側はどうしても悪になってしまう、そのような否定しようのない関係の中に観客を巻き込み、ひとつの見方を観客に押し付けるやり方が「ずるい」というのだ。
もちろんそれは、ストーリーテリングのうまさということも出来るし、それで面白ければいいわけだが、この作品はこれだけ面白い作品であるにもかかわらず、観終わった後に何も残らない感じがする。テーマとしては「希望」を持ち続けることの素晴らしさとでもいうようなことがあり、どっぷりと物語に遣って見終わると何か勇気付けられた気にはなるけれど、それはよく考えてみれば、せいぜい「あー、よかったね」という感想や、「生きてるって素晴らしいね」という空々しい感慨がにつながるくらいのもので、この物語からそれ以上の何かを考えたり、自分の生活に引きつけて何かを生み出すということはないように思える。
にもかかわらず、この映画は何か希望や意味を与えてくれそうな雰囲気を持っている。それはこの映画を見るということが、ある意味では希望を取り戻す人間の生を生きることであるからだ。それがいくら夢物語であっても、そのような生を生きることは気持ちのいいものだし、それが自分の体験のように感じられうことで見ている者も何か勇気づけられるような気がするのだ。
だから私も、「ずるい」と思いながらきっとまた見てしまう。そんな繰り返し見たくなる魅力を持った映画というのはやはりすごいのだろう。