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拝啓天皇陛下様

2005/7/29
1963年,日本,99分

監督
野村芳太郎
原作
棟田博
脚本
野村芳太郎
多賀祥介
撮影
川又昴
音楽
芥川也寸志
出演
渥美清
長門裕之
左幸子
中村メイ子
高千穂ひづる
藤山寛美
西村晃
桂小金冶
preview
 昭和5年、陸軍に召集されたヤマショウこと山田正助は3歳で親と死別しつらい生活を送ってきたために、二年兵のしごきがきつい軍隊も天国のように感じていた。そんなヤマショウも二年兵となり、読み書きなどを教わりながら、迎えた秋の大演習、視察にやってきた天皇陛下を目にして、親しみを覚える…
 棟田博が自らの経験を週刊現代に連載した「あの橋の畔で」を野村芳太郎が監督。渥美清のとぼけた雰囲気がなんとも面白い。
review

 基本が喜劇であるだけに悲惨さを表現することは避けられているが、この主人公のヤマショウの存在は戦後日本人の「何か」を体現しているように思える。それは何か。彼は天皇陛下に親しみを感じ、軍人でいたかった。軍人でいたかったのはその居心地がよかったから。他の人々は軍隊なんて早く辞めて内地に帰りたかったのに。多くの人々が内地に帰りたがるのはそこに生活があるからであり、そこで人とつながっているからだ。内地で人とつながっていないヤマショウは軍隊にいたいし、彼の人とのつながりは軍隊にしかないのだ。そして、そのつながりの究極の位置にいるのが天皇陛下なのである。彼は別に愛国心にかられて、天皇陛下のために命をとして戦おうという使命感を持っていたわけではなさそうだ。彼にとって天皇陛下とは自分が持たなかった帰るべき場所なのである。言ってしまえば彼には天皇陛下を頂点とする軍隊にしか自分のいるべき場所がなかったのである。そして、その天皇陛下が彼のつながりの一番上の位置にいるとするならば、棟本は一番近い位置にいる。
 彼は戦争によって、自分の居場所を見つけたわけだが、多くの日本人は逆に戦争によって自分の居場所を失ってしまった。ヤマショウも結局は戦争が終わったことで自分の居場所を失ってしまったわけだが、棟田という親友の存在によって何とか世の中とつながり続けているのだ。
 しかしやはり、彼には一貫して居場所がない。彼が体現している居場所のなさとは、急速に復興が進む戦後の日本でだれも(特に都会に住む人々が)が感じた感覚なのではないか。戦前の村社会的な紐帯は軍国主義によってずたずたになり、その軍国主義の天皇を頂点とした(封建的な)つながりも敗戦によって雲散霧消してしまった。その中で人々はどこにすがるべき場所を見つければよいのか。そんな途方にくれた感覚が人々を襲ったはずだ。しかし、ヤマショウはもともとそんな場所を持っていなかったから、そのような当惑を覚えることはなかった。

 そんなヤマショウというおかしなキャラクターを通してみる戦争はどこか別世界の出来事であるようだ。それはリアリティを欠いており、現実に人が生死をかけて戦う場には見えない。実際に、この映画で唯一生命の緊張が漂う戦闘シーンにヤマショウはいない。棟本の簡単なナレーションでヤマショウがほかの大隊に転属になったあとで、その先頭は起きるのだ。ヤマショウは天皇の赤子でいながら、どこかでその戦いそのものからは隔絶している。そのリアリティのなさは、戦争を経験した人々が天皇陛下に対して感じるリアリティのなさと似通ったものなのではないだろうか。ヤマショウと棟本は実際に天皇陛下を見たわけだが、実際に見ても(画面に顔は映らない)そこにはリアリティがかけていたように思えてしまう。
 そして、ヤマショウにとってはそんな戦争の延長である戦後も、どこかリアリティのないものになってしまう。彼のとぼけたキャラクターが人を和ませるのは、彼が現実の厳しい生活から遊離しているからである。彼は他の人よりもいっそうひどい生活を送っているはずなのに、まったく苦しんでいる様子を見せず、むしろ楽しそうなのである。そこに彼という存在のリアリティのなさがある。
 このリアリティのなさこそが、戦後の日本を考える上で非常に重要なことなのではないか。敗戦によって新たな“リアル”に直面せざるを得なかった日本人はどこかでその厳しい現実から逃避したいという願望を持ち続けていたのではないか。さらに言えば、それが戦争の記憶のリアリティを奪って行った。
 この映画のリアリティの無さから、そのようなことを考えてみたが、もちろんそのようなリアリティの無さというのは普遍的な捉え方ではない。リアルな記憶として戦争を描こうとしている映画もあるし、生々しい傷跡として戦争の記憶をとどめている人や物や場所もある。
 私たちは今、戦争の記憶を新たにしながら、その記憶と人々がどのように付き合ってきたのかも同時に考えることだ。それによってこの60年間に忘れ去られてしまったもの、見えなくされてきたものが見えてくるはずだ。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: 日本60~80年代

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