ガタカ
2005/8/14
Gattaca
1997年,アメリカ,106分
- 監督
- アンドリュー・ニコル
- 脚本
- アンドリュー・ニコル
- 撮影
- スワヴォミール・イジャック
- 音楽
- マイケル・ナイマン
- 出演
- イーサン・ホーク
- ユマ・サーマン
- アラン・アーキン
- ジュード・ロウ
- ローレン・ディーン
- ゴア・ヴィダル
そう遠くない未来、ガタカ社に勤めるジェロームはまもなく宇宙飛行を控えていたが、実は彼はジェロームとはまったく別人だった。そのジェロームに成りすました男ヴィンセントはほとんどの子供が遺伝子操作で生まれる時代に、“自然な”方法で生まれた子供だった。生まれながらにハンデを背負った彼は宇宙飛行士になることを夢見たが…
遺伝子操作はSFの王道ともいえるテーマだが、それを映画として見事に描ききった佳作。派手さは無いが、淡々としていて切ない表現が恐ろしさを演出する。
ヒトゲノムの全てが明らかになったら、人間は生まれてすぐ潜在的な可能性の全てがわかってしまうのではないかという怖れは今の時代にもすでにある。そして、そのような世の中がやってきたら、人はよりよい遺伝子を求めて、産み分けが行われるようになると。今はまだ優秀な遺伝子を子供に継がせるために精子バンクから精子を買うという程度のことだけれど、遺伝子レベルで操作が可能になったら、まさにこの映画のように、受精卵の段階で遺伝子操作を行って望ましい子供を得ようとするようになるのではないか。
この作品はそのような世の中が実際に訪れた場合の悲劇を本当に見事に描いている。物語は淡々としていて、具体的な差別の描写や、その差別が引き起こす対立や構想を描いているわけでは決してない。しかし、“自然な”方法で生まれたヴィンセントが遺伝子操作された人材によって支配される世の中に挑戦する姿が描かれ、そしてその間に決して乗り越えることの出来ない壁が存在することを明らかにする。
これは人類がその歴史の長きにわたって繰り返してきた差別の構造の反復に他ならない。それは、まずこのガタカにいる人々のほとんどが白人のアングロサクソン系の容姿を持っていることによっても暗示されている。ここには主にアメリカで存在してきた白人-黒人という差別の反復が表現されているのだ。ヴィンセントの姓がフリーマンであるというのも皮肉な語呂合わせだ。まったく自由ではない時代に生れ落ちたフリーマン、それがこの物語を牽引して行くわけだ。
話としてはただそれだけだ。しかしそれを、ヴィンセントという人物を中心に、様々な人物、兄よりも明らかに優秀な弟、本当のジェローム、イレーヌ、ラマール医師(『24』のメイソン!)、などが取り巻いて、微妙な関係を形作って行く。
弟との関係は、エリートと非エリートという関係であると同時に兄弟という肉親の関係であり、しかもその兄弟の違いは世間が考えるほどには大きくない。本当のジェロームとの関係もそれに似通ったものがあるし、ガタカの同僚であるイレーヌとの関係はより複雑だ。このイレーヌとの関係というのが、実はこの物語をいっそう面白くしている。ハリウッドのパターンからすると、サブ・プロットして展開されるラブ・ストーリーは主プロットとはあまり関係なく進み、結局そのラブ・ストーリーにけりをつけることで、主プロットが中途半端に終わったとしても、何か結末がついたかのように観客に錯覚させる手段として使われることが多いのだが、このサブ・プロットは主プロットである物語に深みを与える効果を生んでいる。
そして、ラマール医師もたいした登場人物ではないようでいながら、最後にぴりりとスパイスを聞かせる役を果たす。ぼやーんと終わってしまいそうな物語を最後に引き締めるこのような存在は実は重要だ。それによってこの映画は一貫したテーマを持った一貫した物語となり、観客の心に深く根を下ろすようになる。
近未来の世界にいる妥当と想像できる普通の人々、彼らの姿を見ることは自分の未来の姿を見つめることでもある。