キャノンボール
2005/8/24
The Cannonball Run
1980年,アメリカ=香港,95分
- 監督
- ハル・ニーダム
- 脚本
- ブロック・イエーツ
- 撮影
- マイケル・C・バトラー
- 音楽
- スナッフ・ギャレット
- 出演
- バート・レイノルズ
- ジャッキー・チェン
- ロジャー・ムーア
- ファラ・フォーセット
- ドム・デルイーズ
- ディーン・マーティン
- サミー・デイヴィス・Jr
- テリー・ブラッドショー
- ピーター・フォンダ
- マイケル・ホイ
アメリカ大陸を東から西に横断するキャノンボール・レース、その賞金を目当てに集まったレーサたちは警察に捕まらないために様々な工夫を凝らす。JJたちは救急車を借り、モーリスたちは神父の格好、ジャッキーたちは最新のコンピュータを駆使して警察の目をごまかす…
豪華キャストでレースを舞台に展開されるドタバタコメディ、レースの展開がどうのというよりも、まったくくだらない様々なネタが80年代らしいうわっついた雰囲気でいい。
これは決して感心したり感動したりする映画ではないし、コメディとしても大爆笑という映画ではない。でも私はこの映画が好きだ。それはこの映画がまったくまとまりがなく、レース映画なのにレースの部分にはまったくこだわりがなく(そういえば賞金額がいくらだとかという説明すらなかったような気が…)、出演者たちが絡む場面も少ないわけだが、そのバタバタした感じがとてもいいと思う。このまとまりのない感じ、とにかく豪華な出演者(俳優は言わずもがな、NFLの名プレイヤー、テリー・ブラッドショーまでが出演している)、そのうわっついた感じはまさに80年代。この作品が作られたのは80年だから、この作品はまさしく80年代の幕開けを告げる作品だったのだと思う。
今見ると、なんかくだらないことをやっているだけだし、ロジャー・ムーアでもジャッキー・チェンでも、その見せ場を作るためにとってつけたようにエピソードが加えられているし、パロディも実際面白くない。しかし、そこに漂う楽しげな雰囲気は充分に伝わってくるし、何も考えずに脳天気な空気に身を漂わせたいのならぴったりという感じがする。
つまりは時代が変わってしまったということだ。今の時代にはこんなバカ騒ぎは流行らない。このバカ騒ぎは非現実的でありながら、泥臭い感じがする。それは日常のバカ騒ぎを極限化したもの、とにかく徹底的にバカ騒ぎしたらこうなるという見本のようなものだ。それを楽しむには見る側の積極的な関わり方、いうなれば進んでそのパーティーに加わってやろうというような姿勢が必要となってくる。しかし今の時代に観客が求めるのは、日常の極限化ではなく非日常であり、現実を忘れさせてくれる別世界へと引っ張り込んでくれるような仕掛けなのである。ジャッキー・チェンがジャッキーとして、ロジャー・ムーアがロジャー・ムーアの偽物として登場するような映画よりは、それぞれが何らかの役を演じ、観客がそのうちの誰かに感情移入できるような物語が求められているのだ。
だから、今はこんな映画は作られない。作られても受けないからだ。だからこそ今こんな映画を見ると、ニタニタと笑いがこみ上げてくる。それは80年代という時代、アメリカや日本の全体が浮かれていた時代に対するノスタルジーなのだろうか。私は、それよりはむしろ今の時代の対象化、80年代という時代が今から見ればおかしな時代だったように、今の時代も数十年後には対象化され、ニタニタ笑われる対象になるのだという当たり前のことに対する自虐的な笑いなのではないかと思う。
この映画は基本的にパロディだが、この作品全体がひとつの時代のパロディになっているとも思う。くだらないがためにいろいろ余計なことを考える暇があって、そんなことを考えてみた。