世界でいちばん不運で幸せな私
2005/8/25
The Cannonball Run
2003年,フランス=ベルギー,94分
- 監督
- ヤン・サミュエル
- 脚本
- ヤン・サミュエル
- 撮影
- アントワーヌ・ロッシュ
- 音楽
- フィリップ・ロンピ
- 出演
- ギョーム・カネ
- マリオン・コティヤール
- チボー・ヴェルアーゲ
- ジョゼフィーヌ・ルバ=ジョリー
- ジェラール・ワトキンス
- ジル・ルルーシュ
- ジュリア・フォール
母親が癌で床に伏すジュリアンは小学校の同級生ソフィーが移民の子であることを理由にいじめられているところに出会い、宝物の缶をあげたところから相手の出した条件をクリアすれば缶を渡すという“ゲーム”をはじめる。そして、そのゲームは次第にエスカレートしてゆき、ふたりが大人になってからも続いて…
イラストレーターのヤン・サミュエルの監督デビュー作は『アメリ』を思わせるファンタジックなラブ・ストーリー。
この作品を見てどうしても『アメリ』を思い出してしまうのは、始まりから極彩色の色彩で彩られているからだ。もちろん極彩色の色彩は『アメリ』の専売特許ではなく、フランス映画では多彩な色彩が使われることが実は多い。少年時代だけを取ってみれば、この作品と非常に似ている印象がある『ぼくのバラ色の人生』なども極彩色の映像が非常に印象に残る作品だった。
ということがあるにもかかわらず、この作品が『アメリ』に似ていると思わせるのは、やはり“いたずら”という要素だろう。この作品はその全てが行過ぎたいたずらから成り立っている。自分たちが考えたいたずらのゲームに自分たち自身が呑み込まれてしまい、身動きが取れなくなってしまったふたりの不幸な物語なのである。しかし同時にふたりはそれによって自分を縛り付けることで厳しい現実から救われている。それが象徴的に表れるのがお葬式でソフィーが歌う場面である。周囲からの浴びる顰蹙にもめげず歌うソフィーを見ながらジュリアンはにっこりと微笑み、涙をこぼしながらも笑顔を浮かべるのだ。そして、このときソフィーが歌った「バラ色の人生」はふたりのテーマ曲になるのだ。
そのいたずらは周囲に迷惑をかけ続ける。その意味では周囲を幸せにするいたずらをする『アメリ』とは正反対ともいえるわけだが、そのように正反対であるがゆえにこの作品が面白いということも言える。『アメリ』は主人公がそのように非常に素直で暖かだから、作品自体も素直な作品になった(映像面などでは工夫が凝らされているが)。それに対してこの作品は、主人公たちのキャラクターを反映してこの作品自体がいたずらであるとも言いうる作品になっているのだ。
だから、この作品を観ている観客は『アメリ』を見ている観客のようにはちっとも幸せにならない。ふたりのぎくしゃくに歯噛みし、彼らの行動にいらいらする。しかしふたりの恋の行方と、どこまで彼らが真剣に“ゲーム”に取り組んでいるのか、いったいどこまでひどいいたずらをするのかという興味に引っ張られて作品に引き込まれて行ってしまう。
そして見て行くと、最後にはいたずらにだまされて苦々しい思いをすると同時に、自分のそのいたずらに参加しているような気持ちになってニヤニヤしてしまう。
!!!ここからネタばれ、というかラストの解釈に入るので注意!!!
この映画全体がある種のいたずらになっているというのは、もちろんラストにある矛盾のことを言っている。コンクリートが流し込まれるなかキスをするふたり、これはコンクリートの表面に固められてしまった缶が映画の最初のシーンとリンクすることで、この作品全体をまとめるシーンとなっている。しかし、そのあとふたりが老人ホームらしいところで仲睦まじく過ごしているシーンがあり、そのあと再びコンクリートと缶が映って少年時代のジュリアンの声でナレーションが入る。
このラストが意味するものはといえば、この物語自体がふたりが観客をだますいたずらだったということだ。もちろんこの物語の全体が嘘だということではないが、全てが真実ではないということはあきらかだ。若いふたりが結婚式でキスしているシーンが一瞬映るのも、何か引っかかる。
こういう作品は、好みの分かれる作品だと思うが、私はすごく好きなタイプの作品だ。