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おかあさん

2005/9/2
1952年,日本,98分

監督
成瀬巳喜男
脚本
水木洋子
撮影
鈴木博
音楽
斎藤一郎
出演
田中絹代
香川京子
三島雅夫
岡田英次
加東大介
中北千枝子
三好栄子
沢村貞子
複並啓子
片山明彦
伊藤隆
preview
 福原一家の父は工場の守衛、母は露店で飴を売り長女年子は冬は今川焼、夏はアイスキャンデーを売っての家計を助けていたが、兄の進が肺を悪くして家で療養しており、下の妹と母の妹から預かった哲夫はまだ小さく、家計は火の車だった。そんな中、兄の進むがなくなり、家には暗い雰囲気が漂う…
 全国児童綴り方集「おかあさん」から水木洋子が脚本を書き、成瀬巳喜男が監督。田中絹代と香川京子が好演し、コメディタッチの佳作ながら秀逸な作品に仕上がっている。
review

 成瀬巳喜男というと「女」を描いたリアルな物語という印象が強いが、この作品はその重厚さとは違った軽妙さに味がある作品だ。舞台となるのはおそらく空襲で焼け出されて、何とか掘っ立て小屋のような家を建てて家族総出で働いて何とかやっているという福原一家。その父親がもともとやっていたクリーニング屋を再開するというところから話は始まる。物語の語り手である長女の年子は母親が大好きで底抜けに明るい少女で、近所のパン屋の次男坊“信ちゃん”と恋愛の手前のような関係にもある。
 そんな明るい家庭なのだが、兄が病気で死に、父が病に伏して暗い陰に覆われる。その中で一家が母親を中心にいかに生きるかという物語なのであり、それだけを聞くとやはり重厚な物語だろうという感じなのだが、成瀬はそれを決して暗くならないように作り上げている。妹から預かった甥の哲ちゃんの子供らしい行動のおかしさ、年子と信二郎の関係にまつわるいろいろなネタのおかしさ、そして極めつけはいきなりの「終」(見た人でないとわからないと思いますが)。これらの和やかな笑いを生む様々な演出がこの作品を明るい作品に仕上げている。

 成瀬が暗い物語であるにもかかわらず、作品としては明るい作品に仕上げたということから見えてくるのは、この作品が作られた時代の時代性である。この作品が作られた52年といえば、連合軍による占領が終わった年、朝鮮戦争が始まり、景気が回復傾向にあったとはいえ、日本はまだ戦後の混乱期を抜け切ってはいなかった。そんな中、映画は庶民の唯一の娯楽とも言っていいものだった。この映画の中で映画に行くシーンがあり、田中絹代演じるおかあさんとその妹が「もう何年も映画なんか行ってないわね」と言ってため息をつくシーンなどは、まさに映画の力というか、「映画を見る」ということの意味が込められているように思える。
 そのような時代にあって、成瀬は映画とは人々を元気づけるものであるべきで、人々を更なる悲嘆にくれさせるものではないはずだと考えたのではないか。もちろんこの頃にも、生活の苦しさをリアルに描いた作品もあったわけだが、成瀬はそれよりは人々に明るさを与えるような作品を作ることを選んだのだろう。
 そしてその焦点には女性がいた。戦後女性は多くが未亡人になったり、子供を失ったりと様々な苦しさを背負う一方で、新たな憲法の下で男女平等がうたわれ、社会的に認められるようにもなった。成瀬が本格的に女性映画と言われるものを撮り始めるのは戦後のそれも50年頃のことである。変化した世の中で女性がいかに生きるのか、成瀬が描こうとしたのはそういうことだ。この作品はそんな女性たちが明るく生きることが出来るためのメッセージなのかもしれない。
 前年にはほとんど同じキャストで『銀座化粧』という作品を撮っているが、こちらは田中絹代が「母」であることと「女」であることの間で揺れ動く主人公を見事に演じていた。このふたつの作品をあわせて観てみると、女性が強く明るく生きること、成瀬がそれを応援しようと映画を作っているように見えてくる。母であることと女であることは少しも矛盾しない。この『おかあさん』においては、母たる田中絹代の「女」としての面はほとんど出てこないが、決して子供のために自己を犠牲にしているわけではなく、自分が女として生きることの意味を子供の中に見出しているように見えるのだ。だから、これは女性の応援歌になるうるし、巨匠成瀬巳喜男の作品の中でも名作のひとつに数えられるのだと思う。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: 日本50年代以前

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