お国と五平
2005/9/10
1952年,日本,91分
- 監督
- 成瀬巳喜男
- 原作
- 谷崎潤一郎
- 脚本
- 八住雄
- 撮影
- 山田一夫
- 音楽
- 清瀬保二
- 出演
- 小暮実千代
- 大谷友右衛門
- 山村聡
- 田崎潤
- 三好栄子
- 藤原釜足
お國は父の勧めもあって許婚であった友之丞との縁談を断り、伊織を婿に迎える。伊織は有能だが冷たい男で、結婚後、お國は寂しい生活を送っていた。そんなある夜、友之丞が伊織を闇討ちにして切り捨て、逃亡してしまう。お國は家来の五平を連れて仇討ちの旅に出る。
谷崎潤一郎の原作を成瀬巳喜男が映画化。時代劇の敵討ちという成瀬にしては珍しい題材だが、これも女の行き方を描く一つの方法なのだろう。
成瀬は、戦前や戦中には喜劇や芸道ものをよく撮ったが、50年代に入るとその作品のほとんどは女性について描いたいわゆる“女性映画”に分類されるものになる。この作品も時代劇というかたちをとりながらその例に漏れず、封建社会の中での女性の生き方をテーマにした作品になっているのだ。
谷崎潤一郎も女性を中心に据えた作品を数多く書いているわけだが、意外なことに成瀬が谷崎作品を映画化したのはこの一昨だけ。成瀬は林芙美子と水木洋子の二人の女流作家以外では、複数の作品を映画化した作家はほとんどいないので驚くには値しないといえばそうなのだが、この取り上げる原作者の傾向を見ても、成瀬が“女性映画”というものをどう捕らえていたのかがわかるのではないかと思う。
その中で、谷崎の原作を取り上げたこの作品は、成瀬の戦後の作品群の中では珍しい時代劇となり、しかしそれでもやはり“女性映画”であるという不思議な作品になった。封建時代を描いた時代劇に“女性映画”などというものはまずありえないのだが、この作品は主人公のお國が「奥方様」と呼ばれる地位のある女性であり、かつ夫を失ったという意味で自由な女性であることでそれが可能になった。そして、封建制度の遺制と新しい女性の権利の狭間で苦闘する(戦後の)現代女性とこのお國とはどこかで通じるものがあるのだ。
お國は殺された夫の仇討ちというひどく封建主義的な風習に縛られながら行動しているにもかかわらず、身分の低い五平という男に惹かれ、五平もまたお國に惹かれる。そして彼女は五平よりも身分が上であるがために選択しなければならない立場にある。その選択とは、制度的な制約に従って仇討ちを遂げ、故郷に帰って五平と結ばれることが可能になるのを待つのか、それとも制約を破って庶民に身をやつして五平と一緒になるのかという選択である。
封建制度の中で女性には基本的に選択権はなかった。結婚相手は父親に決められ、結婚すれば夫にすべてを決められる。それが現代の女性は男女同権という名の下にすべての選択権を与えられたのだ。この作品の主人公お國あ(戦後の)現代女性がぶつかっているのと同じ「選択」という問題にぶつかっている。そして、その選択とは封建制度の制約を守るのか、それとも自分の欲望に従ってそれを破るのかという択なのである。
だから、成瀬はこの作品を“女性映画”として撮った。そのために時代劇といては奇妙な作品になり、登場人物たちも友之丞をはじめとして時代劇らしくないキャラクターが多く登場する作品にはなったが、それで逆に興味深い作品ともなった。
時代劇としての違和感も、成瀬の戦後作品だという視点から見ると、拭い去ることができる。