乙女ごころ三人姉妹
2005/9/20
1935年,日本,75分
- 監督
- 成瀬巳喜男
- 原作
- 川端康成
- 脚本
- 成瀬巳喜男
- 撮影
- 鈴木博
- 音楽
- 紙恭輔
- 出演
- 堤真佐子
- 梅園竜子
- 細川ちか子
- 大川平八郎
- 林千歳
- 松本千里
- 松本万理代
- 岸井明
- 藤原釜足
- 三島雅夫
浅草でレビューの踊り子をしている千枝子が家が門付けの娘を置いている家で、姉さんも門付けをやっているということを恋人の青山に告げるが、青山はそんなことを気にする様子もなく、千枝子は安心する。しかし、家では厳しい母親のために姉のお染がつらい立場におかれていて、千枝子はそのことをなかなか言い出せないでいた…
トーキーを撮るためにPCLに移籍した成瀬が川端康成の『浅草の姉妹』を映画化した初のトーキー作品。
成瀬初のトーキー作品ということで、トーキーらしさとサイレントの手法が混在した感じがよくわかる。まず、門付けという音楽を商売とする主人公を設定したことで作品に多くの音楽が使われることになり、トーキー映画の特性をうまく利用することが出来る。しかし、同時にセリフのない完全にサイレント映画のようなシーンが挟まれるところなどもあって、不思議な雰囲気である。
それを見て思うのは、果たしてこの映画が上映された頃の状況はどうだっただろうかということだ。この作品が作られたのは昭和10年、まだトーキーがそれほど一般的ではなく(だからこそ成瀬はPCLに移籍した)、全ての映画館でトーキーを上映できるわけではなかった。つまり、トーキーをかけることが出来ない映画館では、この作品もサイレント映画として上映されたということだ。私が見たプリントでは、この作品には時々完全に真っ黒い画面が挿入される。その時には音も飛ぶが、映像はそのブラックアウトの間にジャンプしているわけでもない。それを見て推測できるのは、これがサイレント映画として上映するときに、そこにキャブションを挿入するためにあとから付け加えられたフィルムなのではないかということだ。そこにセリフを文字で表現し、さらには弁士と音楽でサイレント映画として上映する。そのような状況があったことをこのフィルムからは想像することが出来る。
さて、そのような検証も面白いが、映画の内容のほうに行く。
この作品は出ている女優も映画の内容もかなり地味だ。実質的な主人公となった堤真佐子などは本当にパッとしないという感じの女優だ。むしろ姉妹のほかのふたりを演じた梅園竜子と細川ちか子の方が美人女優という感じで華があるのだが、成瀬は敢えてこの堤真佐子を主人公にしたのだろうと私は思う。それはこの物語が、恵まれないが善良な女の物語であるからだ。三人姉妹の二番目である堤真佐子演じるお染は末娘の千枝子のようにかわいがられもせず育てられ、さらに長女のおれんが家を出て行ってしまったことで、厳しい母親の攻撃の矢面に立つことになってしまった。しかし、彼女は勝気さでそれに立ち向かい、妹と家においている娘たちをもかばう。そのために彼女は苦労を重ね、姉や娘のように“いい人”に出会うことも出来ず、しかしつらさを周囲には見せない存在なのだ。
ちなみにだが、そんなお染の心情が垣間見えるシーンがある。それは埠頭で饅頭か何かを食べていたお染にカメラを持った学生が声をかけるシーンだ。このシーンは完全にサイレントの技法で作られているのだが、それがサイレントであることで余計に彼女の身上が浮き彫りにされるように思える。もちろんいくつかのセリフがあっても彼女の心情を表現する事は出来たのだろうが、まったくセリフがない方が観る方の感覚が研ぎ澄まされるような気がする。このようなシーンを見ると、トーキーによって映画が得たものは確かに大きいが、失ったものも決して少なくはないということを考えさせられる。
また話がそれてしまったが、このお染というキャラクターは非常に成瀬らしいキャラクターでもあると思う。成瀬は主人公に基本的に美人女優を使うが、しかし、彼女たちは決して華やかな人生を送っているわけではない。それよりはむしろつらく苦しい日陰の人生を送る人々である。特に男に苦労させられるという点ではこの作品で細川ちか子が演じたおれんに近いキャラクターが多いわけだが、どちらにしても非常に地味でつらい物語がそこで展開されることが多いわけだ。この作品のお染はそんなキャラクターのひとつの頂点にいると思う。このお染が持つ暗さと強さには成瀬が女性に抱くイメージの根本的な何かがあるように思える。戦後の主人公たちは強さによってその暗さを振り払って行ったが、この時代にはそれは不可能だった。そのようなつらい境遇に甘んじながらも強さを保つ、そのように非常に困難なことを続けたお染という女性、そこには成瀬が映画によって女性にエールを送り続けるひとつの原風景が込められているように思える。女性がそのような理不尽な苦しみに耐え忍ばなければならない状況を変えて行くこと、成瀬はそのようなことを夢想し、その想いを映画に込め続けたのではないか。成瀬が“女性映画”なるものを撮るようになる根源にはそのような想いがあったのではないかとこの作品を観ながら思った。