赤い河
2005/9/24
Red River
1948年,アメリカ,133分
- 監督
- ハワード・ホークス
- 原作
- ボーデン・チェイス
- 脚本
- ボーデン・チェイス
- チャールズ・シュニー
- 撮影
- ラッセル・ハーラン
- 音楽
- ディミトリ・ティオムキン
- 出演
- ジョン・ウェイン
- モンゴリー・クリフト
- ウォルター・ブレナン
- ジョン・アイアランド
- ジョーン・ドルー
- シェリー・ウィンタース
わずかな数の牛を連れてテキサスへ向かったダンソンとグルートは途中で一人の少年マシューを拾う。3人は14年をかけてテキサス一の農場を築くが、戦争の影響でテキサスでは牛が売れなくなり、およそ1万頭の牛を連れて遠路ミズーリを目指すことにする。しかし、その途中には州境の強盗団やインディアンの襲撃の怖れがあった…
ハワード・ホークスとジョン・ウェインのコンビによる傑作ウェスタン。長距離移動するカウボーイを描いたまさに西部劇という快作。
ハワード・ホークスの作家性が発揮されるのは、映画の序盤、牛を連れて旅に出るダンソンと仲間たちがまさにその出発のとき、意気揚々と「イーッハーッ」とかけ声をかけるその瞬間の表情をモンタージュするシーンだ。彼らの表情が全てを語る。彼らの高揚した気持ち、わずかな不安、それらがクロースアップで捉えた一つ一つの表情から伝わってくるのだ。そして、表情という要素はこの映画の全体を通してその人物の感情を伝える道具として利用される。一触即発の打ち合いのシーンでも、言い合いのシーンでも表情が全てを語るのだ。
この作品を彩るセリフはほとんど実際的なことしか言っていない。牛をどうするか、どの道を通るのか、などなど。しかし、そのような実際的なことを言うその背後には常に様々な感情が渦巻いている。それを表情が伝える。それによってこの映画を単純なアクション映画にはない面白さを持つ。
もちろん、牛の大群を写したシーンの迫力もものすごい。数千頭の牛が山を越え川を渡り、群れになって進む。その迫力はものすごく、その圧倒的な迫力はこの旅の困難さに説得力を与える。
そしてやはり、物語の中心になるのは男と男の物語である。ダンソンとマシュー、このふたりの信頼と友情、そして男らしさの相克、互いが互いを信頼し、家族の間にも似た親愛の情を持っているが、同時に西部を生きる“男”でもある。その友情の物語がこの作品を引っ張って行く。ハワード・ホークスはハリウッドの黄金律に従って、結局男女のロマンスに決着を求めて、男と男の物語の結末はうやむやというか二の次にしてしまうことも多いが、この作品ではダンソンとマシューの関係を徹底的に描いている。それがすごく面白い。
そしてそこにグルートとチェリーという脇役が加わる。グルートはコミカルで面白く、しかもふたりと家族にも似た関係を結んでいる。チェリーは新参者というひとつの典型的なキャラクターで、ふたりの関係に変化をもたらす。ホークスとウェインの60年代の作品ではこのような関係性を持ったある種のグループが集団的な主人公となる物語が展開され、そこではチェリーのような新参者が重要な役割を果たすが、この作品は少し違う感じで、あくまでもダンソンとマシューというふたりの物語になっているのだ。
それはそれで非常にシンプルで、西部劇らしくて面白い。