ナインハーフ
2005/10/3
Nine 1/2 Weeks
1985年,アメリカ,117分
- 監督
- エイドリアン・ライン
- 原作
- エリザベス・マクニール
- 脚本
- パトリシア・ノップ
- ザルマン・キング
- 撮影
- ピーター・ビジウ
- 音楽
- ジャック・ニッチェ
- 出演
- ミッキー・ローク
- キム・ベイシンガー
- マーガレット・ホイットマン
- ドワイト・ワイスト
- カレン・ヤング
ギャラリーで働くエイドリアンはチャイナ・タウンで買い物をしているとき、魅力的なひとりの男に出会う。その時は会話も交わさず別れたが、別の日、ふたりは市場で再び出会う。通じ合うものを感じたふたりは食事をし、ともに夜を過ごす…
官能的なラブ・シーンが話題を呼んだラブ・ストーリー。いかにも80年代らしいムードとサウンドが時代性を感じさせる。
この映画はまさに80年代の映画である。始まりから80年代らしい軽いポップ・サウンドが流れ、主人公のふたりの職業はソーホーのギャラリーのキュレイターとウォール街のディーラー、スタイリッシュなマンションに住み、官能的な情事にふける。書いてしまえばまったくそれだけの映画、80年代とはそのように浮わついた時代であり、そのようなライフスタイルが格好いいと思われている時代だった。
そのようにあまりに色濃く時代性を表現してしまっているがゆえに今見ると鼻白く、作品としての面白みを見出すことは難しい。それこそリアルタイムで見たならば、このようなライフスタイルへの憧れもあれば、この官能的なラブ・ストーリーというものの目新しさもあった。そしてまた内容的にも、70年代にヒッピーたちによってなされた(とされる)性の解放が、スノッブな人々にまで至ったそのことをリアルに描いているという点で目新しさがあった。今となってはこのような作品はあまた溢れ、いわゆるポルノやピンク映画との境界線すら曖昧になってきているわけだが、この当時はまだやはりこれだけダイレクトにアブノーマルともいえるようなセックス(今見ると別に過激なことをやっているとはあまり思えないが…)を具体的に描くということにはちょっとした話題性もあっただろう。
そして、ミッキー・ロークの格好よさとキム・ベイシンガーの美しさ。セックスとリアルに結びついた男女がこれだけ美しく描かれるというのはこの作品の秀逸なところである。だからその点に注目すれば、今でも鑑賞に堪えない映画というわけではない。しかし、作品としての質は公開当時から別に評価されていなかったので、その部分の作品の出来は時代性とはあまり関係ないのかもしれない。
それでも、この作品がそれなりだと思うのは、まず映像がスタイリッシュであるという点においてである。それが顕著なのは色の使い方だ。この作品ではモノクロームの空間とカラフルな空間を対比的においている。ミッキー・ローク演じるジョンのいる空間がモノクロームの空間であり、その空間はきれいに整頓され、スタイリッシュさを象徴しているのに対してそれ以外の空間は基本的にカラーであり、雑然とした現実を象徴している。キム・ベイシンガー演じるエリザベスはカラーの現実空間から、モノクロームのスタイリッシュな空間へと入って行く。それがこの映画の物語の全てである。それを見事に色の対比で描いているのが面白い。
そして、それはまたこの作品がエリザベスの視点から作られた物語であり、いわば女性の願望(あるいは欲望)を表現した作品であるということだ。雑然とした現実からスタイリッシュな(80年代的な)夢の世界へと入りたいという願望、エリザベスはその夢を見事に実現した。その夢の世界に魅了され、それまでの現実の自分とは違う自分が次々に発見され、それが新たな悦びを生む、そのような夢のような体験を彼女はしたのである。
しかし、さらに考えてみると、不必要なほどに時間を割かれたように思えるファンズワース氏の作品もモノクロームの世界であった。それは80年代的なスタイリッシュさとは無縁なものであるような非常に生々しい世界ではあるけれど、しかしそれはモノクロームであり、モノクロームとスタイリッシュさが結びつくという意味では80年代的なのだ。そして、映画の最後のほうでそのファンズワース氏とエリザベスが見詰め合うシーンを見、いろいろ思い返してみると、もしかしたら、この夢物語は本当に夢だったのではないかとも思えてくる。結局ジョンはエリザベスの知り合いの誰とも会わず、誰も彼が本当に実在したことを証明できない。そしてエリザベスは離婚の痛手を抱え、最後のほうには精神科の診療を2度すっぽかしたことが判明している。などなどということを考えると…
まあ、そう考えたからと言って映画の面白みが増すというわけではないけれど、単なる80年代的なお気楽映画ではないんじゃないかと考えると、少しはこの映画も救われるのではないだろうか。