男はつらいよ
2005/10/10
1966年,日本,91分
- 監督
- 山田洋次
- 原作
- 山田洋次
- 脚本
- 山田洋次
- 森崎東
- 撮影
- 高羽哲夫
- 音楽
- 山本直純
- 出演
- 渥美清
- 倍賞千恵子
- 光本幸子
- 森川信
- 笠智衆
- 前田吟
- 佐藤蛾次郎
- 志村喬
「生まれも育ちも葛飾柴又…」と日本中を旅烏で飛び回る的屋の寅次郎、通称フーテンの寅が20年ぶりに故郷の柴又に足を踏み入れる。その間に両親も秀才の兄もなくなり、叔父夫婦の下に妹のさくらひとりが残されていた。そしてその叔父夫婦が営む団子屋でひとしきりの歓迎を受け、ついに妹と顔をあわせる…
おなじみ「寅さん」シリーズの記念すべき第1作。もとは渥美清のアイデアを元に山田洋次が脚本を書いたテレビドラマで、それを自ら監督して映画化したいと企画し、そこから48本もの映画が生まれた。
この映画は寅さんに対する周囲の態度によって展開されていく。寅さんは20年ぶりに帰ってきて、最初はさすがにかたッ苦しい挨拶などをするが、その後はそんな空白をまったく感じさせない親しげな雰囲気にあっという間にしてしまう。まわりもそれをすんなりと受け入れるわけだが、寅さんがさくらの見合いの席で面倒を起こすと、態度はいっぺん、みなが寅さんを冷たい目で見、煙たがるようになるのだ。映画の中盤は寅さんはそのようにして周囲から疎外されたままになる。寅さんはいろいろと面倒を起こし、周りはそれに迷惑し、冷たく当たのである。しかし、最後はなんだか丸く収まって、みなは寅さんを赦し、しかし寅さんは失恋をして、失意のうちにみなのもとを去っていくのである。
この展開の仕方はこのシリーズのほとんどすべてに当てはまると言っていい。寅さんはみなに待たれ、しかし実際にやってくると疎んじられ、しかし最後には赦され、そして去っていく。このパターンが意味するものはいったい何なのかと考えると、まずそこに見えてくるのは周囲の寅さんに対する二面的な感情である。あるいは相反する感情が同居していると言ってもいいが、周囲の人は寅さんの自由さ奔放さに憧れると同時に、彼の無軌道な破天荒さを蔑んでもいる。蔑むという言い方は大げさかもしれないが、彼らは寅さんを身内であると感じると同時に異質なものであるとも感じているということである。
これが寅さんの根本的なキャラクターである。寅さんは旅から旅へ渡り歩くやくざもの。やくざそのものではないが、土地土地に行けばその土地の親分のところに筋を通して的屋稼業をするわけで、いわゆるまっとうな職業人ではない。そんな寅さんは団子屋を構えたり、大きな会社に勤めたり、町工場で働いていたりする人々にしてみれば遊び人、半端もん、に見えてもいた仕方がない。誠実に働くのではなく口八丁手八丁で人をだまくらかして金を巻き上げているのだからそう見えても仕方がないのだ。その寅さんの性質が周りの人々をして彼を白い眼で見たり、異質なものと感じさせたりするわけだ。
しかし、同時にみなどこかでそんな旅から旅への自由な生活にあこがれている。「こんなところからは抜け出したい」と思い、知らない土地に行くことを夢見ているのだ。自分では出来ないそんな自由な生活を寅さんは実践しているから、みな寅さんにある種のうらやましさを感じるのだ。
そんな二律背反の感情が寅さんの周りの人々の中には渦巻いている。それがこの物語のパターンには現れているのである。
このような二律背反の感情は時代を超えて人々の中にあったものなのではないかと思う。むかし、たとえば江戸時代あたりに旅烏といえば、旅芸人である。土地土地を回って芸を披露して歩くたび芸人は、河原乞食と呼ばれて蔑まれていもいたが、しかし人々は彼らが来るのを楽しみにし、彼らのような生活に憧れもした。だからたまに旅芸人に引っ付いて村を去ってしまう若者なんかもいたわけだ。そう考えると、もしかしたら逆にそのような憧れを抑圧するために差別が生まれたのではないかなどとも考えてしまうが、それはここでは関係ないのでおいておくとして、寅さんはそのような旅芸人の系譜に位置する存在であるということになるのだ。
今となっては芸人にそのような性質はまったくないが(あるとしたら演歌歌手くらいか)それでも、そのような旅から旅へという自由な生活に憧れるという気持ちは常にどこかにある。そして同時に的屋のような人々をどこかで軽んじたり、怖がったりする感情があるということも否めない。だから、寅さんは20年以上にもわたって愛されたのだ。
ここまでは寅さんを迎える周囲の人たちの視点から映画を見てきたが、今度は寅さんの視点から見てみることにする。
一番重要なのは、寅さんはなぜ帰ってきたのかということだ。20年も連絡せずに、なぜ急に帰ったのか。そこにあるのはもちろん里心である。旅から旅の生活の自由さは何物にも変えがたいが、それは帰る場所があるからこそのものなのだ。そのことを寅さんは20年の放浪生活で身にしみたのではないだろうか。
それ以外の理由として父親が亡くなったとがあるのではないかと思う。寅さんは父親と大ゲンカして家を飛び出し、しかもそれ以前から始終殴られていたし、妹のさくらとは違って(おそらく「秀才の」兄とも違って)、その父親が芸者に生ませた子供なのである。しかもその時父親はへべれけに酔っ払っていたということが結婚式のシーンで明かされる。寅さんはこの父親を最後まで赦せなかったのではないだろうか。だから、父親が死ぬまで帰ることが出来なかった。そのように思える。しかし、決して父親が嫌いだったわけではない。おいちゃんが寅を殴るとき「これはお前の親父の拳骨だ」というようなことを言ったのに対して寅さんは「親父のはもっと痛かった」と答えるシーンなどを見ると、寅さんの中には父親を慕う気持ちと赦せない気持ちがずっと同居していたのではないかと思えるのだ。