暗黒街の顔役
2005/10/20
Scarface
1932年,アメリカ,93分
- 監督
- ハワード・ホークス
- 原作
- アーミテージ・トレイル
- 脚本
- ベン・ヘクト
- 撮影
- リー・ガームス
- L・W・オコンネル
- 出演
- ポール・ムニ
- アン・ドヴォラック
- ジョージ・ラフト
- ボリス・カーロフ
- カレン・モーリイ
ギャングのボスが何者かに殺される。警察はそのボスの用心棒のトニーが敵対している組織のボス・ジョニーから金を受け取っていたことでトニーに疑いを向ける。しかし、トニーは釈放され、ジョニーの組織で頭角を現して行く。そして、徐々にジョニーを無視して組織を牛耳るようになって行く…
禁酒法時代のアメリカで、実在のギャングをモデルに作られた映画。ホークスのトーキー2作目にして、全てのギャング映画のルーツといわれる名作。83年にはリメイク作品も作られた(邦題は『スカーフェイス』)。
禁酒法の時代とはつまり、プロテスタンティズムの強かった時代であり、この映画もその影響を免れ得ない。冒頭にこの映画がギャングの横行に対する国の無策を告発するものであるとの断りがわざわざなされるあたりに、その影響が強く感じられる。結末が2バージョンある理由もヘイズ・オフィス(30年代を中心に検閲によって映画界に大きな影響を与えた映画制作倫理規定管理局(PCA)を擁するアメリカ映画制作者配給者協会(MPPDA)のこと)の意向によりオリジナルの変更を余儀なくされたことである。ネタばれになるので詳しくは書かないが、もちろんその変更によって教条主義的な内容に変更された。現在発売されているDVDにはオリジナル・バージョンのラストシーンも収録されており、それを見比べることが出来るが、そのふたつを見比べてみると、ラストが変更されているほか、ラストの前の部分も何分かカットされている(理由は近親相姦的な雰囲気があるからだということらしい)が、冒頭の断りとの対応を考えると、変更されたバージョンの方が作品としての全体的な整合性はある。さらに、映画の途中にも、画面のこちら側いにいる観客に向かって直接にギャングの横行の原因が政府の無策であるということを訴えかけるシーンがあり、われわれの意識の改革を訴えかける。このシーンも撮ってつけたようなシーンだから、検閲後に付け加えられたシーンなのかもしれない。冒頭の断りと途中のこのシーンとラストが全て検閲によって付け加えられたものなのだとしたら、オリジナルと検閲後の作品はまったく異なる作品であるといわざるを得なくなるだろう。
まあ、その教条的な部分をおいて考えてみても、この作品はさすがに名作といえる作品である。まずこの主人公トニーの人物像が秀逸である。物語の発端からしてトニーが自分のボスを殺すということであり、彼は常にのし上がること、他を押しのけて自分が大物になることばかりを考えている。それを象徴的に示すのが「世界はあなたのもの」というネオンサインなのであるが、彼はそのメッセージをまさに自分に向けられたものであると考える男なのであり、文字通り世界を自分のものにしようとしているのだ。そのために彼は完全なエゴイスト、自分の欲望のためには他人などどうとも思わない存在として描かれる。彼にとって全ての人間は自分が支配するべき存在であり、彼のいう通りに振舞わなければ存在する価値もないのである。完全なるエゴイズムその描写が素晴らしい。
とは言っても、決してそのキャラクターが美化されているわけではない。ホークスはトニーの行動を淡々と他人事のように描き続ける。観客は彼ににじり寄って行くが、決して彼と一体化しはしない。この作品にはそもそも観客がトニーという存在に入り込んでいけない仕掛けがされている。それがまず示されるのは映画のいちばん最初に現れる「×」の印である。この印は映画の最後“END”という文字とともにも現れるのだが、これはもちろん映画のタイトルでもあるトニーの顔のキズ(スカーフェイス)の十字と対応している。そして、その「×」の印は映画のところどころに出現する。トニーが殺しに行くライバルのボスの病室に映る影、ボーリング場のストライクの印、ルームナンバー、などなど殺人の現場に必ずと言っていいほど現れるのだ。そしてそれは、この作品の冒頭の「×」が、この物語が主人公トニーの死への物語であることも示している。そしてそれはつまり、この映画が悲劇的な結末を見返るということが予告されていることを意味し、この映画が完全な悲劇であることを意味するのだ。
完全なるエゴイストの完全なる悲劇、ギャング映画とはギャングを格好よく見せるものであり、その点ではこの映画もその例に漏れないが、その格好よさというのは予告された死に向かう刹那的な生によるところが大きいものであるということも明らかになる。刹那的な生が持つ輝きはまぶしいけれど、悲しいもの、この映画のトニーという主人公はそれを見事に体現して見せて、輝いている。