ニキータ
2005/10/21
Nikita
1990年,フランス,117分
- 監督
- リュック・ベッソン
- 脚本
- リュック・ベッソン
- 撮影
- ティエリー・アルボガスト
- 音楽
- エリック・セラ
- 出演
- アンヌ・パリロー
- ジャン=ユーグ・アングラード
- ジャンヌ・モロー
- チェッキー・カリョ
- ジャン・レノ
チンピラ仲間とクスリを奪いに薬屋に入った少女、警官を殺した容疑で終身刑となるが、秘密工作員として政府に雇われることを条件に刑務所から出される。そして、長く困難な訓練を経て、遂に工作員として生き始めるが…
リュック・ベッソンが『グラン・ブルー』に続いて撮った本格アクション。ハリウッドで『アサシン』としてリメイクされ、この2作品がリュック・ベッソンのハリウッド進出の足がかりとなった。
私はリュック・ベッソンの作品の中でこの『ニキータ』がいちばん好きだ。彼は生涯で10本しか監督しないと宣言し、すでに8本(『アトランティス』を除けば7本)監督してしまったから、今後も2本か3本しか監督しないということになる。『グラン・ブルー』や『サブウェイ』も好きだが、どちらも物語としてみたときに少し弱い感じがする。その点この『ニキータ』はプロットの組み立て方が秀逸で、それを展開して行く編集の仕方もオーソドックスでありながら、非常に印象的だ。たとえば、映画の序盤でニキータが心を入れ替えて訓練を受けようと決意した20歳の誕生日のその次には23歳の誕生日のシーンが来て、その3年の歳月が意味するものを観客に印象的に示すのだ。
もうひとつ印象的なのは、ジャン・レノの登場シーンだ。ジャン・レノであることと非常に印象に残るキャラクターであることから、映画を観た後も印象に残るが、改めて見直してみると、いつも意外に出番が少ないことにびっくりする。それでもやはり、その表情と所作は強烈な印象を残し、この作品にひとつの折り目をつける。だからこそ、『レオン』という作品が生まれたのだろう。『レオン』でジャン・レノが演じるのは間違いなくこの『ニキータ』で彼が演じた役の延長上にあるのであり、それをハリウッド向けに、メロドラマ的に構成しなおしたものであるだろう。
そのような意味でもこの『ニキータ』は彼のフィルモグラフィーにおいて重要だし、私にしてみればこの作品こそが彼の頂点であると思う。ジャン・レノだけでなく、チェッキー・カリョもジャンヌ・モローも非常にいい演技をし、映画を引きしみているし、ニキータを演じるアンヌ・パリローも非常にいい演技を見せ、アクションシーンに素晴らしい緊張感を与えている。
私がこの『ニキータ』の次に好きなリュック・ベッソンの作品は『フィフス・エレメント』(疑問の声が多く上がるだろうが)なのだが、そのふたつに共通するのは主人公を演じるのが妻(アンヌ・パリローとは結婚しなかったが、間には子供がいる)であるということと、近未来的な雰囲気を持っているということだ。リュック・ベッソンはソダーバーグのようには役者の才能を引き出す監督というわけではないが、それでも自分の好き嫌いが作品に大きく影響を与えるようだ。『フィフス・エレメント』が駄作に見えるものブルース・ウィリスがあまりにひどいからだと思う。そして、近未来的という要素はリュック・ベッソンが固執するところである。長編デビュー作の『最後の戦い』も、核戦争か何かで人類がほとんど死滅した世界を描いているし、次の『サブウェイ』は『ニキータ』に近い近未来的な世界を描いている。
これらの近未来に共通するのはテクノロジーの進歩と人間性の後退である。特に人間性の後退という点は、彼が初期の作品で重点的に描いてきたテーマだと思う。それが端的に見られるのが『最後の戦い』と『サブウェイ』だが、この『ニキータ』もそんな要素が見られる。人間性が交代した世界において、否応なく結びついただけであるはずのニキータとボブの間に生まれる人間的なつながり、それがこの作品の大きなテーマである。ハリウッドに進出したリュック・ベッソンはその人間的なつながりの部分ばかりを強調するようになってしまい、近未来という世界のかさかさした感じや絶望的な先行きの暗さを失ってしまった。それがあって初めて儚い人間的なつながりに意味が生じるはずなのに。
だから、そのふたつが微妙なバランスで存在している『ニキータ』こそが彼のフィルモグラフィーの頂点であると私は思うのだ。