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地球の危機

2005/11/22
Voyage to the Bottom of the Sea
1961年,アメリカ,105分

監督
アーウィン・アレン
脚本
アーウィン・アレン
チャールズ・ベネット
撮影
ウィントン・ホック
音楽
ポール・ソーテル
バート・シェフター
出演
ウォルター・ピジョン
ジョーン・フォンテイン
ピーター・ローレ
バーバラ・イーデン
ロバート・スターリング
preview
 アメリカ海軍のネルソン提督が開発した新型潜水艦、クレイン艦長の指揮の下、処女航海に北極海へと進んだ。しかし、北極海について浮上してみると、空は真っ赤で辺りは灼熱の世界だった。ワシントンとの通信でその理由はヴァン・アレン帯だというのだが…
 まったくお粗末なSF作品だが、安っぽい特撮にもかかわらずスリリングに見せているのがなかなかいい。また、B級作品であるだけに、そこにアメリカらしさを見ることもできる。
review

 映画としてははっきり言ってめちゃくちゃだ。一応SFとして作られて入るのだが、サイエンスの部分はまったくないと言っていい完全なるへっぽこシナリオである。ヴァン=アレン帯が発見されたのは50年代の末だから、この作品はその新しい話題を早速取り込んで、それが地球の危機につながるというシナリオを作ったわけだが、ヴァン=アレン帯が強力な熱を帯びて地球の気温が急上昇するなんて話は何のことやらわからないし、ヴァン=アレン帯の何たるカを知らなくても(知らないひとのほうが多いはず)、氷で覆われた北極の気温があっという間に50℃になるなんて事は信じられないし、氷山の上に乗っているなら、気温が上昇しても体温が上がるのは防げるはずだ。さらに言えば、気温が70℃とかに上がるという設定もわけがわからないし、「なんじゃこりゃ」という話ばかりが続く。そんな設定のわけのわからなさに映画はかまわず、なぜか潜水艦内の人間ドラマとして話は進む。そして、しまいには巨大イカに人間が襲われる。
 といういかんともしがたい話で、わけがわからないのだが、いろいろな意味で面白い映画でもある。

 まず、この作品の特撮はかなり安っぽく、潜水艦はプラモデル、氷山は発泡スチロールで、しかも明らかにミニチュアなわけだが、にもかかわらず、潜水艦が航行するシーンにはスリルがある。機雷原にぶつかったシーンや他の潜水艦とチェイスを行うシーンはハラハラしてしまうのだ。自分でも何故こんな安っぽい特撮にハラハラするのかわからないのだが、おそらくこの作品で特撮を担当したL・B・アボットの力量によるものだろう。このL・B・アボットは後に『ミクロの決死圏』や『猿の惑星』などで特殊効果を担当して有名になるのだが、この作品を観てわかるのは、その力量は単に装置をうまく作るといったことではなく、観客にそれをどのように見せるのかという部分にあるということだ。観客は作り物であることがわかっていても、そこにリアリティを感じれば、その映像に入り込み、リアルにそれを体験してしまうのだ。
 だから、この作品の中でもっともリアリティがないはずの潜水艦のシーンのほうにむしろリアリティを感じてしまう。これが一般的な感覚でもあるということは、この作品の設定だけをもとにしてL・B・アボットの特殊効果を売りにしたテレビシリーズ『原子力潜水艦シービュー号』が作られ、カルト的人気を誇ったことからもわかる。そしてその時期は『サンダーバード』のTVシリーズが放映された時期とも重なり、特撮がエンターテインメントの花形になろうという時期だったということもある。
 だからこの作品も、特撮マニアやB級SF好きならば引っかかってくる作品ということができるだろう。どこかに面白い部分があれば、作品自体はどうしようもなくても楽しめてしまうのが映画の不思議なところでもある。

 さてもうひとつ、面白いというか、考えさせられるのが、この作品の孕むアメリカ的な部分、そして時代性である。まず、ヴァン=アレン帯というのがポイント何っていると最初に書いたが、このヴァン=アレン帯というのは強い放射線帯である。そしてこの物語の主人公ネルソン提督はその放射線帯に核兵器を打ち込むことでその熱を相殺させてしまおうと試みるのだ。
 この作品が作られた1961年という時代は、米ソの核兵器開発競争が激化していた時期である。翌62年にキューバ危機が起きて、まさに危機が訪れて緊張緩和が起きるまで、米ソの対立は激化し、核兵器の脅威は現実的なものとなって行った。そのような時代性を考えると、このヴァン=アレン帯とはソ連の核兵器の暗喩でもあったのではないか。ネルソン提督は核の脅威に核兵器で対抗するアメリカを象徴し、及び腰の国連を独断で押しきる。
 ここに見えるのは、現在まで続く独善的なアメリカの源流である。独断で自分が正しいと信じ、その決断を周囲に押し付ける。国連を無視して一国主義をとる姿勢は今も変わっていない。つまり、このネルソン提督と潜水艦はアメリカの象徴であるのだ。
 そしてさらに、この潜水艦の中にもアメリカ的なものが存在する。それは、独裁者的に振舞うネルソン提督と民主的に振舞おうとするクレイン艦長の対立である。アメリカという国は民主的な国というイメージがあって、実際に人々は自由にものが言えるのだが、実際に物事を決断するのは独裁者的な権力を持った大統領なのであり、この潜水艦にもまさしくその構図とまったく同じ構図が存在する。結末を言ってしまえば、民主的な意見により独裁者を排除しようとするのだが、危機的な状況において独裁者の意見が通され、最終的にはその意見が正しかったということになる。寛大な独裁者は神の名を口にし、自分の独善を神の導きに結びつける。そして反対者を許し、人々もその独裁者を最終的には賛美するのだ。
 これはまったくもって今のアメリカではないか、とこの作品を観ながら私は驚いた。それはつまり、アメリカが40年前から同じ国だったということだ。しかも、それを批判するのではなく、肯定し、むしろ賛美している。そして、さらにはアルバレスという原理主義者まで登場する。彼は神の意思を過大評価し、独裁者をテロリズムで倒そうとするのだ。
 振り返ってみると、何十年も前のこんな映画にもアメリカの本当の姿は描かれていた。その姿が今になって誰の目にも明らかになってきたのは、それまではその独善がこの映画のように成功していたのが、今ではうまく行かず、歪みが生じてきているからなのだろう。こんな作品からそんなことがわかるというのも映画のある種の面白さであるかもしれない。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: アメリカ60~80年代

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