パリ空港の人々
2005/11/29
Tombes du Ciel
1993年,フランス,91分
- 監督
- フィリップ・リオレ
- 脚本
- フィリップ・リオレ
- 撮影
- ティエリー・アルボガスト
- 音楽
- ジェフ・コーエン
- 出演
- ジャン・ロシュフォール
- ティッキー・オルガド
- マリサ・パレデス
- ラウラ・デル・ソル
- イスマイラ・メイテ
カナダからパリに飛行機で着いたアルトゥーロは入国審査で「カナダの空港でパスポートを盗まれた」と告げる。何の身分証明書も持たないアルトゥーロはそのまま空港内に足止め、身分照会が終わるまで空港内で待つように言われる。しかたなく長椅子で所在無く寝ていたアルトゥーロに一人の少年が話しかける…
味わい深い小品を撮るフィリップ・リオレの監督デビュー作。スピルバーグ監督作『ターミナル』の元ネタとも。
この映画は何度見てもいい映画だ。それはこの映画がとても穏やかで暖かい映画だからだ。パスポートを盗まれたために入国ができず空港に留め置かれた男、そんな男は普通なら入国管理員に食って掛かりそうなものだが、このアルトゥーロは一度はそのような態度をとりそうになるものの、そこで踏みとどまり、トラブルを起こすような事はしない。それはもちろん、その前に少年ゾラをはじめとする「パリ空港の人々」に出会っているからだ。父親を待ち続けるゾラ、国籍を剥奪され、空港で半年以上を過ごすスサーナ、何年間もただただ機械いじりを続ける謎の男ナック、彼らはアルトゥーロよりも入国管理員に怒っていいはずなのにそんな無駄な事はせず、うまく折り合っていこうとする。そして、アルトゥーロも受け入れて、彼と対立することもない。
この背景にはもちろん諦念もあるのだが、ただそれだけではないその暖かい空間からかもし出される安心感のようなものもあるのだ。行き場のない彼らが空港という本来なら一瞬立ち寄るだけの場所に定住する。それはどこでもない場所にいる誰でもない人々である。彼らには行き場はないが、もう追い出されることもない。彼らは誰でもないのだからこれ以上何かを奪われることはないのだ。そんな逆説的な安全を彼らは手にし、その安全が安心感をかもし出す。ここにいてもどうにもならないけれど、ここにいれば何とかなる。そんな気持ちがアルトゥーロにも伝染する。
そして、その移動や変化の象徴たる空港に存在する停滞した空間という対立関係は、変化し続ける世界と普遍のものという対立関係の象徴にようにも見える。空港の外では時間は矢のように過ぎ、物事はどんどん変わって行くのに、空港のこの空間ではまるで時間が止まったようで、何事も変わりそうにはない。いつ始まったか分からないナックの滞在、いつ書き終るか分からないセルジュの回顧録、それらは不変性を象徴してはいまいか。
とくに、ナックは完全に止まった時間、不変の空間を象徴する存在であり、この物語の中で非常の重要な役割を果たしている。このナックを明らかなモデルにしているのが2003年のドイツ映画で同じように空港内に暮らす人々を描いた『ゲート・トゥ・ヘブン』のアフリカ人のキャラクターである。このアフリカ人(名前は忘れた)もナックと同じように、盲点のように不動の点として存在していた。映画とは物語り、つまり変化を描くものだが、そこに変化しないものが存在するということによって、その変化が逆によく見えるようになる。そして、この映画はそれ自体が変化する現実に対立する変化しないものとしてわれわれの生きる現実の変化のスピードの速さに目を向けさせる。
もちろん、それが何というわけではない。しかし、この全てがものすごい勢いで変化して行く世の中にあって、このように時間が止まったように変わらない空間があるということにはどこか安心感を感じるのだ。アルトゥーロが安心感を感じたように、映画を見る私たちも何か安心感のようなものを感じる。だからこの作品は何度観てもほっとするし、楽しめる。
そして、空港の外、移動と変化、つまり現実を象徴するアルトゥーロの妻が迎える結末を見てニヤリとほくそえむのだ。