サウンド・オブ・サイレンス
2005/12/25
Don't Say a Word
2001年,アメリカ,114分
- 監督
- ゲイリー・フレダー
- 原作
- アンドリュー・クラヴァン
- 脚本
- アンソニー・ベッカム
- パトリック・スミス・ケリー
- 撮影
- アミール・M・モクリ
- 音楽
- マーク・アイシャム
- グレーム・レヴェル
- 出演
- マイケル・ダグラス
- ショーン・ビーン
- ブリタニー・マーフィ
- スカイ・マッコール=バートシアク
- ファムケ・ヤンセン
- ジェニファー・エスポジート
感謝祭前日のニューヨーク、足を骨折した妻と娘の待つ家に帰ろうとする精神科医のネイサンだったが、元同僚のサックスに分裂症の少女を見てもらえるよう強引に頼まれるが、少女は心を閉ざし、ほとんど何もしゃべらなかった。しかし翌日、ネイサンは娘を誘拐される…
アンドリュー・クラヴァンの『秘密の友人』を映画化したクライム・サスペンス。
一言で言えば、まあまあよくできたクライム・サスペンス。少女のトラウマによって記憶の底に抑圧された記憶を手繰り寄せることが事件解決になるという仕組みは、精神医学サスペンスという設定で、原作はその方向で掘り下げているのではないかと思わせるが、2時間の映画になると、その部分、つまり以下にして短時間で彼女に心を開かせ、彼女自身も覚えていない抑圧された記憶を引き出すのかという部分にスリリングな展開があるのだろうと予想できるが、そのような静的なサスペンスは映画に向かない。だから、映画としては動きのある展開を求め、エリザベスの記憶の映像化や誘拐犯と娘のシーン、さらに刑事が絡んでくるプロットを前面に押し出してみたりして、映像的なインパクトを強めようとしている。
そのおかげで、この映画は見られる映画になっている。マイケル・ダグラス演じるネイサンがプロットを引っ張って物語にスピード感を与え、観客をあきさせない。
しかし、そのような映画的な展開はこの物語が本来持つ精神医学的サスペンスを骨抜きにしてしまう。ずっと心を閉ざしていたはずのエリザベスはなぜ、こうも簡単に心を開いていしまうのかとか、心の奥底に抑圧されていたはずの記憶が簡単に掘り起こされてしまうのかとか、そのような疑問が尽きなくなって、どうも入り込むことができない。
ハリウッドのエンターテインメントは娯楽性を追及するがゆえにご都合主義に走りすぎ、このような骨抜きのプロットになってしまうことがよくある。大体はそれを圧倒的な映像とかアクションで覆ってしまい、観客を圧倒してごまかすわけだが、この作品はそこまでの勢いがないために、なんとなく最後まで見てはしまうけれど、見終わってみると「なんだかな~」という感じが残ってしまうのだろう。
その中で、ブリタニー・マーフィはなかなか言い。彼女はこの映画のときすでに24歳だが、この作品のような精神的に不安定な十代の少女という役がまだピタリと来る。それはやはり22歳で出演した『17歳のカルテ』のイメージが強いせいかもしれないが、どうも見た目がそんな10代の少女らしいものだから仕方がないのだろう。しかし、この作品を観ても他の作品を観ても、彼女は実がそれなりの演技力があるように見える。子役上がりだということもあってか子供との絡みも上手だし、もう少し年齢を重ねて、少女らしさが抜けたら、いい女優になるのではないかと思う。
このような映画は多い。気楽に見ることが出来るから、何も考えたくないようなときは私は見るのが好きだ。しかし、ちゃんと映画を見ようというときにこのような映画に当たってしまうと、がっくり来る。そんな感じの映画。