イン・ハー・シューズ
2006/2/13
In Her Shoes
2005年,アメリカ,131分
- 監督
- カーティス・ハンソン
- 原作
- ジェニファー・ウェイナー
- 脚本
- スザンナ・グラント
- 撮影
- テリー・ステイシー
- 音楽
- マーク・アイシャム
- 出演
- キャメロン・ディアス
- トニ・コレット
- シャーリー・マクレーン
- マーク・フォイアスタイン
- ブルック・スミス
スタイルと美貌は自慢できるが、学習障害のせいで周囲にバカだと思われ、自分もそれをコンプレックスにしているマギーと、その姉でやり手の弁護士だが男とは縁がないローズ。ある夜、ローズは憧れていた事務所のボスを夜を過ごすが、マギーが同窓会で酔いつぶれたと電話があって、彼女を家に泊める羽目に。そこから姉妹の関係に亀裂が入って…
『8 Mile』のカーティス・ハンソンがトニーとリドリーのスコット親子のプロデュースで撮ったヒューマンドラマ。女性ならかなりはまりそうな感じの作品。
学習障害というのは知能に生涯があるわけではなく、読み書きや計算といういわゆる“勉強”に困難があるような生涯のことをいうが、勉強が出来ないということで、「バカだ」と扱われやすいことは想像に難くない。この映画の主人公マギーも自分で「バカだから」というように、まわりからそのように扱われ、自分自身もそのように考えてきたようなふしがある。そのコンプレックスが彼女の腰をさらに引かせ、子ども扱いする周囲に甘えるようになる。
そんな中で姉だけが彼女にも得意なことがあるということを信じ、いろいろ仕事をして見るようにと勧める。しかし、優秀な弁護士である彼女には外見にコンプレックスがあり、とくに「太っている」ことをやたらと気にしている。
そのふたりのコンプレックスがこの物語の眼目なわけで、姉がコンプレックスを克服できようかというできごとを妹が壊してしまうことで姉妹の関係は完全に壊れる。まあ、そこから先は映画の楽しみなので書かないが、この物語を動かしているのはコンプレックスなのである。
そして、コンプレックスというのは誰もが持っているものである。そして、そのコンプレックスがいつかぬぐえるときが来るのを待ち望んでいるのである。しかし、コンプレックスは心に秘めたるものであり、それを明らかにすることで拭い去るのでは意味はなく、なんとなく恵みのようなやってくるものによって拭い去られることを夢見るものなのだ。
だから、この物語は見る人の琴線に触れる。暖かな人たちに出会うことによって拭い去られるコンプレックス、それは誰もが待ち望んでいることなのだ。だから誰もがこの夢物語に浸ることが出来る。
御伽噺とまでは言わないが、出来すぎた話であり、作り話に過ぎないのだが、そのようなお伽噺によって現実を忘れさせるのはエンターテインメントとしての映画がもつ重要な機能の一つである。だからこの映画は素晴らしい。戦後の日本でも「ハンカチもの」という単純に感動できる映画が人気を集めたけれど、この映画もまさにそんな感じ。単純に感動できると、コンプレックスではないけれど、心の中のわだかまりが少し溶けるような気がする。
ただ、この作品はマギーとローズの母親に障害があり、それがマギーに遺伝したと示唆されているところなど、少々ステレオタイプすぎる部分も目に付く。キャラクターを単純化させることは物語を分かりやすくし、観客が入り込みやすくするのに役立ちはするけれど、主人公のキャラクターを考えるともう少し配慮したほうがよかったように思える。この作品が差別を助長するとは思えないけれど、マギーは少々単純すぎ、学習障害を持つ人々に対するイメージに偏りを与える可能性は否定できないだろう。そして、彼女を取り巻く人々もステレオタイプ的だ。
観客が作品に入り込みやすくするために物語を単純化することと、それが過度なステレオタイプに陥る境界は微妙なものだ。この作品は何とかぎりぎり踏みとどまったように見えるが、無批判に受け入れることも出来ない。すっきりと感動してストレスを少し洗い流したら、現実の問題をじっくりと考えてみる。それがこの映画の本当の楽しみ方なのかもしれない。