クレールの刺繍
2006/2/15
Brodeuses
2003年,フランス,88分
- 監督
- エレオノール・フォーシェ
- 脚本
- エレオノール・フォーシェ
- ガエル・マーセ
- 撮影
- ピエール・コットロー
- 音楽
- マイケル・ガラッソ
- 出演
- ローラ・ネマルク
- マリアンヌ・アスカリッド
- ジャッキー・ベロワイエ
- トマ・ラロプ
- マリー・フェリックス
17歳のクレールは妊娠しているがそのことを誰にもつげづにスーパーのレジ係としてはたらき、大好きな刺繍を小さな部屋で続けていた。ある日、唯ひとり何でも話せる親友のルシールが帰ってくるので彼女の家にとまりに行くと、刺繍のアトリエを持つメリキアン夫人が息子を亡くしたと聞く…
いかにもフランスのアート系映画という静謐な感じがある心温まるドラマ。監督のエレオノール・フォーシェはこれが初の監督作品になる。
フランスの、あるいはヨーロッパの北側のアート系の映画というと、静謐な雰囲気と、美しい映像、そして魅力的な中年女性か初老の男性が出てくるというモノが多いが、この作品もその類型にぴたりと当てはまり、いかにもという感じである。そしてそれなりに完成度も高いから、そういう感じの映画が好きな人には十分に楽しめる作品になると思う。
しかし、この作品はそのような映画の中のなかなかいい作品というにとどまる。ジャンルをこえて誰もが楽しめたり感動できたり、感心したりする映画にはならないのだ。そして、この映画がそのような印象を与えるのは、すべてが何か「もう一歩」であるからだ。
この作品の眼目となるのは、主人公のクレールの心情と、メリキアン夫人の心情、その間の相互作用であると思うが、まず物語があまりにゆっくりと展開して行ってしまうため、クレールの心情を理解するのに時間がかかってしまう。クレールがためらっていること、怖がっていること、そして本当に求めていること、それがなかなか見えてこないのだ。
もちろん、そのように観客をどこかで拒否するというのもアート系の映画の特長ではある。観客を作品の中に引き込んで楽しませるエンターテインメント作品とは異なり、観客があくまで自分自身として映画を見る、このようなスタンスをとることこそが芸術のあり方だとも考えうるからだ。それならばそれでもちろんいいし、そのようにして観客を突き放した作品にも素晴らしい作品はあるのだが、この作品のもうひとつの問題は、そのように観客を突き放しきれてもいないということだ。
この作品は結局クレールの表情と様々な音によって観客を映画に引き込もうとしている。序盤からクレールの夢を使ってクレールの主観的なビジョンを示しているし、スーパーでの会話や音から言葉にならない彼女の感情は明らかになる。そのあたりのスタンスの中途半端さが作品と観客の距離を不安定にさせるため、88分という短い作品がすごく長く感じられる。
しかし、まあ最後には心温まるラストが待っている。穏やかにではあるが、うまくまとまったという感じを残して終わるので、いやな感じはしないし、むしろいい作品を観たという印象が残る。
そして、ラクロワ(クリスチャン・ラクロワ)のような有名デザイナーの影にはこのような優秀な職人的な人々がいるということが描かれているのもおもしろい。完全に手作業で総刺繍で1枚のドレスを仕上げる。そのような職人がいてこそきらびやかなファッションの世界が成り立つ。それが垣間見えるのはいいが、そこまで描いたのなら、もっと掘り下げて欲しかったとも思う。
映像の面ではクレールのターバンを巻いた姿がフェルメールを想起させるが、それも「そうかな」と思う程度で、それがひとつの世界観として作り上げられているわけではないのがもうひとつという印象を与える原因になる。 すべての面においてなかなかだけれど、もう一歩でもある。そんな印象の映画。